56歳オヤジのアフィリエイト体験談|今の俺に何ができるのか?

生活
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それは突然やってきた。

排水の陣で臨んだ不動産会社も行き詰まり、自主閉鎖かも?

「このままじゃヤバイ」

事務所の家賃4万円も3か月滞っている始末。

ふと目をやると郵便受けに入っていたのは電気代の督促状。

気にも留めないままやり過ごしていた。いや、分かっていたけど逃げていた。

恐る恐る見てみる。不安は的中、「今日、電気が止まる!!」

こんな状態からの再スタートだった。

ぼくのインターネット参入は突然やってきたのだった。

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中村塾への参加募集に申し込む|不安だらけの挑戦が
始まる

 

 

パソコンで副業を探していた。

ふと、笑顔が良く似合う人の好さそうな青年の顔が飛び込んできた。

それが、中村塾、塾長の中村貞文さんとの出会いでした。

動画を見るうちにどんどんのめりこんでいったのでした。

もともと持っている熱しやすい性格も伴ったのか、自然に参加表明をすることに。

お金が無いなか、何とかお金をかき集めて分割で払うことに。

塾がスタートするに当たり、お決まりの顔見せということで東京に。

群馬から東京に行くのは久しぶり、果たしてちゃんと目的地まで

行けるのか心配が募る。

それでも、何とか目的地まで1時間前についていた。1番乗りだった。

手元には28000円で買った中古のノートパソコンが人目を

避けるように置いてある。

「みんな目新しい最新式のパソコンを持ってくるのだろ~」って考えていた。

ここは7階建ての貸しビルなのだが、レンタル会議室として営業を

しているらしい。

今いる玄関ホールには出迎え用の札がかかっていて、中村塾の案内も出ている。

その札にはPM13:00中村塾様 401号室と書いてある。

その案内札をしげしげ見ているひとりの女性が目に留まった。

その女性の手元には、パソコンが入っているのが分かるバックが

ぶら下がっている。

こころ細くなってか、同朋心からかぼくは声をかけていた。

「あの~中村塾を受けに来た人ですか?」

今思えば、これがぼくのアフィリエイトという第2の人生の始まりだった。

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物販アフィリエイトがスタート|2回目の
排水の陣の始まり

 

 

今回のアフィリエイト人生は2回目の排水の陣の始まり。

今度こそ、退路は断たれている。

アフィリエイトで稼いで食べていかねばならない。

文章を書くこと自体、小学校で作文を書いた以来、書いたことのなかったぼくは

最初の難関にぶち当たる。

今思えば、初心者というものはその程度でポテンシャルが

低いことが当たり前の世界。

なんと、1000文字も書いていない1記事を書くのに

8時間以上もかかっていた。

先が思いやられた。最初の課題が出された。

無料ブログで記事を書きまくること。確か、1か月に30記事を書いたと思う。

今考えるとなんで無料ブログで記事を書くのか、分からないまま

愚直に記事を書いていた。

課題としては無料ブログはどこを使うのかではなく、まんべんなく使うことが

要求されていた。

確か・・・

■SeaSaaブログ

■はてなブログ

■ライブドアブログ

■ジュゲム

2か月目に入り、記事を書くにも慣れてきたせいか1日に2,3記事

書けるようになっていた。

しかも、ブラインドタッチでパソコンのキーボードをたたいている自分がいる。

ある意味、成長を遂げていた。

このころになると、毎日15時間くらいはパソコンに没頭していた。

深夜の2時ごろ家を出て、30分かけて事務所に到着。

それから、夜7時くらいまでパソコンをしていた。

6か月の塾期間に書いた記事は300記事を超えていた。

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成果型アフィリエイトの難しさを痛感|このままじゃいけない!

 

 

SeaSaaブログで記事を量産していた僕は、フリーメールの登録のやり方や

書いたブログ記事の管理のやり方などを学ぶ。

すべて、始めてやることなんで壁にぶつかりながらもなんとか克服していった。

このころになると、WordPressを導入してアフィリエイトを開始していた。

WordPressに中村さんが開発された「中村くん」というテーマをインストール。

今となっては、WordPressに「中村くん」をインストールして使うという概念が

分かるのだが、当時はそれすらもわからず「中村くん」という

ツールだと思っていた。

今思い出すと初報酬が出たのが4か月目だったと思う。

それもたった、800円くらい? 記憶が定かではないのですが。。。

その後は、報酬は全然、上がらないまま塾が終了となりました。

「このままじゃいけない!」とだけ思いが強くありました。

今考えると、記事を書いてかきっぱなしでPDCAを回していなかったのです。

これではダメだと、次の最善策を見つけていました。

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『WE HAVE A DREAM!プロジェクト』に気づいた時には参加

 

 

パンダこと渡辺雅典さんが主催する塾に参加表明。

ここでも記事を300記事以上書きました。

このころも毎日、15時間以上パソコンに向かっていました。

この塾で学んだことは、Facebookを解説して、友達を増やしたこと。

そして、Twitterもデビューすることに。

30万円の塾参加費を払いましたが、233000円を稼ぎ5万円のツールを

いただいたのでとんとんという感じ。

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その後のアフィリエイト人生は?

 

 

その後のぼくのアフィリエイト人生は多難でした。

Facebookページを媒体にしたアフィリエイトや海外アカウントを使った

Line@アフィリエイトに手を出していました。

Facebookページは12アカウント作り、Line@も10アカウント作っていました。

Facebookページはもとになる個人アカウントが停止になってしまったので

全部、ダメにしてしまいました。

Line@アカウントは今でも残っていますが、フォロワーが日に日に減っています。

この間にはこれらのノウハウを使って月間、30万PVを誇る

ブログを運営することになりアドセンスで98000円まで

 

売り上げが立っていました。

しかし、このブログも圏外に飛ばされる羽目に。

そして、その間にもYoutube塾やFX塾などいろいろな塾に参加することになり

散財した金額が400万円になっていた始末でした。

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まとめ

 

 

ぼくの第二のアフィリエイト人生。

遠回りはしたけれど、やったことでそれなりのスキルは身に付きました。

今でも一日、10時間以上は記事を書いたりしています。

アフィリエイトで稼ぐのは「いばらの道、大変」をがっちりと受け止め

毎日を送っています。

なので、何が何でもブログで飯を食ってやると思っています。

ブログ飯を現実にするために

以上、「56歳オヤジのアフィリエイト体験談|今の俺に何ができるのか?」

についてでした。

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