クールスのメンバーそれぞれの立ち位置と上下関係とは

クールス

僕のブログでは舘ひろし、岩城滉一、佐藤秀光が中心になり作った大人のバイクチームクールスについて分かりやすく解説しています。

今回は視聴者からの問い合わせに答えて、「舘ひろしさんと岩城滉一さんはどっちが格上なんですか」について回答していきます。

それだけでは内容薄になってしまいますので、クールスのメンバーそれぞれがどのような関係にあったのかについても僕が知っている範疇で解説していきます。

僕のブログでは史実に忠実にを大前提に記事を書いていますので、クールスの情報を入手するのにはうってつけのブログになっています。

なので、サクッとクールス情報を手入れたい方はブックマークをしておくと便利ですよ。

それでは本題に入って行きましょう。

なお、YouTube動画で見たい方はこちらからどうぞ⇒https://youtu.be/dlSXYwS8_E0

クールスのメンバーそれぞれの立ち位置と上下関係とは

舘ひろしさんと岩城滉一さんが出会うきっかけになったのが原宿に会った飲食店というのが一般的に知られている情報のようですが、僕の見解はちょっと違います。

遠藤夏輝さんの書いた原宿ブルースカイヘブン、佐藤秀光さんが書いたハングリーゴッド

そして、大久保喜市さんが書いたストレンジブルー、ジェームス藤木さんが書いたジェームス自伝、その上、クールスのメンバーのインタビューなどなどあらゆる情報源から考えると
原宿にあったディノバーガーではないかと思います。

しつこいようですが、一般に出回っている情報は玉川雅已さんがお亡くなりになった時の記事を書いた週刊女性セブンに記載されたもののようです。

しかし、以前取り上げたようにこの記事はところどころ記者の独断的な意見だけで裏付けを取っていない内容となっています。

だから、ぼくが思うのにはこの記者が言っている飲食店というのではないと考えるのです。

まぁ、今回のテーマとはかけ離れたことなのでこの辺にしておいて

この時、同席していたのは佐藤秀光さんと後何人かのメンバーだったようです。

佐藤秀光さんが同席していたのは確かなのですが、他のメンバーは梅村光男さんと

飯田和男さんだったのかと推測します。

佐藤秀光さんが同席していたのは事実のようです。

そして、僕がどうして梅村光男さんと飯田和男さんが同席していたと推測するかと言うと

当時、梅村光男さんは岩城さんの部屋に居候をしていた頃で飯田和男さんはいつも岩城さんの家に溜まっていたマカオのメンバーだったからです。

舘ひろしと岩城滉一、佐藤秀光との出会い

 

店の前に並んでいたバイクの一群を見た舘ひろしが岩城滉一たちのところに近づき

「あのバイクは君たちの?」と話しかける。

舘ひろし24歳、岩城滉一、佐藤秀光23歳の時である。

舘ひろしがバイクに興味を示すと岩城滉一がバイクのことについて語った。

一つ違いの舘と岩城は意気投合した。

というのが一般的に出回っていつ情報であるが、ここで佐藤秀光の存在を抜きにしては語れない。なぜなら、岩城滉一にバイクのイロハを教えたのは佐藤秀光だからである。

同席をしていた佐藤秀光もバイクの話に加わったのは間違いないことで、二人で意気投合したというのではなくむしろ3人で意気投合したのではないかと推測される。

このファーストコンタクトがスタートになり舘ひろし、岩城滉一、佐藤秀光らは付き合うことになる。

舘ひろしを取り巻くメンバーとの上下関係は

そして、バイクチーム結成という運びになるのであるが、ご存知の通り舘ひろしはメンバーからは「ボス」と呼ばれていた。

しかし、岩城滉一と佐藤秀光、そして村山一海、ジェームス藤木はボスではなく名前で「ひろし」と呼んでいた。

グループの中では建前では舘ひろしは「ボス」であったが、4人からは同等とみられていたようである。

その他のメンバーは皆「ボス」とか「大将」と呼んでいたから、自分より上と捉えていたようだ。

ピッピこと水口晴幸だけは「大将」と呼んでいた。そして、今でも呼んでいる。

ここでクールスのメンバーの上下関係を整理するためにメンバーの生年月日を掲げることにしよう。

分かる範囲で紹介するのでご了承あれ

舘ひろし 1950年3月31日生まれ

ジェームス藤木 1951年3月15日生まれ

岩城滉一 1951年3月21日生まれ

佐藤秀光 1951年4月1日生まれ

村山一海 1951年6月17日生まれ

このように舘ひろしはこの4人とは一歳年上であった。

しかし、この4人は舘ひろしを「ひろし」と呼び、「タメ」だと考えていたのである。

その他のメンバーについては

梅村光男(シャチョウ)が24歳。中井陽孝(ヨーチン)が24歳。

その下がピッピさん、22歳。

ピッピさんの一歳下がマサミさん21歳になり、

その下20歳だったのが、郷田さん、ナリカワさん、イチカワさん、フランクさんだった。

そして、大久保喜市さんですがマサミさんと同じ1954年生まれの21歳だったのである。

最後になりますが、モガさん、サムさん、ショウボウさんがいくつだったのかについては分かりません。

こちらについては分かり次第、お知らせします。

ということで、クールス内部では舘ひろし、岩城滉一、佐藤秀光、ジェームス藤木

村山一海は同等だったようですね。

中井陽孝だけは歳が同じなのにもかかわらず、舘ひろしをボスと呼んでいたようですね。

ということで、今回はクールスメンバーの上下関係について見てきました。

なお、もっとクールスのメンバーのことについて知りたい方はこちらを見てください。

クールスのメンバーを教えて?今はどうなっているの?

また、キャロルとの関係を知りたい方はこちらの記事をどうぞ

キャロルとクールスの共通点|矢沢、舘、岩城、ジョニーの関係とは?

そして、舘ひろしが辞めた本当の理由が知りたい方はこちらを見て

【クールス伝説】 舘ひろしのグループ脱退理由がえぐすぎた※鈴木康之が暴露した意図とは

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