今回この記事で取り上げているのは「暴走族と芸能人」です。
僕のブログでも「クールスと暴走族」という括りでいくつか記事を書いていますが、
今回は「暴走族と芸能人」という括りの中でヤバ過ぎる遍歴を持つ
芸能人トップ3をご紹介します。
ヤバ過ぎ遍歴の中でクールスのメンバーとも関係を持っている芸能人が登場するので
そのヤバ過ぎる遍歴を持っている芸能人は誰なのか最後までご覧ください。
クールスファンはもとより、暴走族に興味のあるあなたには最高な情報となると思いますよ。
なので、最後まで見てもらえればなと思います。
元暴走族で芸能人の意外な職業
芸能人の遍歴を紐解いていくととんでもない事をバックボーンに持つものも少なくない。
今の芸能活動と照らし合わせてギャップが大きければ大きいほど話題性という点で
視聴者の目をくぎ付けにする。
例えば、伊藤幸弘さん。 この方はクールスのメンバーで言えばピッピさんと
同い年の 1952年生まれの今年69歳になる神奈川県平塚市生まれである。
しかし、伊藤さんは高校中退後に構成員15000人の暴走族「相州(そうしゅう)連合」の二代目総長を経て、自らの非行・更正経験を生かした青少年育成カウンセラーとして活動を始めるという異色な経歴の持ち主なのである。
1999年 伊藤幸弘教育研究所を設立、所長となり
以来、非行・いじめ・不登校・薬物などの問題を抱える子どもの親たちから相談を受け、マスコミでも取り上げられ、大きな反響を呼ぶ。
今では講演会などには欠かせない存在になっている人である。
また、こんな人もいる。それは岩橋健一郎 さん。
若い頃、横浜・鶴見でヤンチャとして鳴らし、暴走族「横浜連合鶴見死天王」で頭角を現す。
1966年12月24日、北海道生まれの御年55歳。
かれの肩書は青少年不良文化評論家というのだから面白い。
なぜ面白いかと言えば彼の風貌にある。それはスキンヘッドだからだ。
暴走族時代に培った人脈で、その手腕を発揮し、創刊から携わった『チャンプロード』は
連載19年目に突入、『少年チャンピオン』連載中の「番長連合」の監修も手がけている。
このように上げればきりがないくらい芸能人には暴走族上がりの経歴を持つものが大勢いる。
具体例として二人の評論家のお話をしました。
さてここからがこの記事の核心に迫って行きます。
暴走族チームに所属していた芸能人トップ3【ヤバ過ぎ遍歴】
ネタバレすると二人はお笑い芸人で一人が俳優さんです。
まずは一人のお笑い芸人はバッドボーイズの佐田正樹です。
リーゼントがトレードマークで俺ほどリーゼントが似合う奴は居ないと豪語している佐田正樹。子どもの頃に見たビーバップハイスクールに衝撃を受けそれ以来リーゼントにしていると言いう。
福岡県出身の佐田は幻影と言う暴走族を立ち上げ初代総長になる。
その後、幻影を配下に置く福岡連合に。
佐田は頭角を現し福岡連合の2代目総長にまで上り詰める。
他の暴走族との抗争や警察からの捜査をかいくぐりながらの生活であったがとうとう佐田に逮捕状が出てしまいました。
そして佐田は逮捕されてしまうのであるが、その逮捕当日はなんと修学旅行のその当日だったというから始末が悪い。
「お廻りさん、どうか旅行から帰ってきてから逮捕してください」と頼むも、むなしく却下。佐田は修学旅行にも行けずそのまま警察署に連行となったのでした。
そして、少年院に送られた佐田であったが母親と担任教師の計らいで少年院ではなく病気入院ということに。
暴走族を引退してどうしようもない毎日を送っていた佐田が、担任の教師に「将来何がしたいんだ?」と訊かれ、俳優か歌手になりたいと答えると、
「お前は歌手ってガラじゃないし、俳優は台詞を覚えるのが難しいから、
清人とお笑いやれ」と促され、福岡第一高等学校の同級生で同じく
暴走族の「福岡連合」出身の大溝清人と1997年4月に「バッドボーイズ」を結成。
小学生から芸人になるまでを描いた自伝著書『デメキン』に詳しいことが書かれている。
そして二人目はパンクブーブー黒瀬純です。
黒瀬は佐田と同じく福岡県出身で悪死魔という暴走族の副総長をしていました。
暴走族でのし上がるには腕っぷしが強くなければ上には上がれない世界。しかし黒瀬は違っていたのです。
根っからの面白さから黒瀬だけは違いメンバーから投票で選ばれ副総長になったというのだから驚きです。それだけ、いつも面白いことを言ってメンバーを楽しませていたんでしょう。
福岡出身の暴走族ということもあって佐田と黒瀬は顔見知りでした。 黒瀬が先輩で佐田が後輩という関係でした。ある時、黒瀬の弟を佐田が締めたことがあって、その落とし前ということで
佐田が黒瀬の前で土下座をさせられたこともあったそうです。
でもでも、このお二人とも芸能界ではまじめにやっているようですね。
はいそれでは3人目ですが・・・
筋金入りの暴走族総長です。
伝説の暴走族とも言われているブラックエンペラーの第7代総長として君臨した宇梶剛士です。
彼は1962年西新宿で生まれる。その後、広島に転居し、その後は北海道に移り住む。
その後、東京に帰ってきて高校生活を送ることになる。高校では野球部に入るも
先輩の後輩いびりに我慢できず、学校側に告発するも反対に学校から虐待的仕打ちを受け
その後、野球をやらせてもらえず2か月間グランドに立たされたことがあったという。
これがトラウマになり「大人は信用できねえ」と不良の道まっしぐら。
体格の大きさからめっぽう喧嘩に強く、ブラックエンペラーで頭角を現し、ついにはブラックエンペラー第7代目名誉総長となった。
実を言うとこのブラックエンペラーはクールスの音楽の屋台骨であるジェームス藤木と深い縁がある。それは国立と立川と府中の人間5人から始まった当時、ジェームス藤木が集会にはいつも参加をしていたということ。
当時のことはあまり語らないジェームス藤木であるがブラックエンペラーを作った谷田部は中学3年生の時に作ったそうだ。
それから4~5年たった後に7代目となる宇梶剛士の代となる。
その宇梶とは11歳も違うジェームス藤木は一緒につるんでいたとかは無いが、
富士見台第一団地に住んでいた関係から会えばちょっとした世間話はしていたという。
それより、興味深いのはジェームス藤木の母親と宇梶剛士の母親が親友のように付き合っていたようだ。
いつも鉢巻をして喧嘩をしていた宇梶剛士。
喧嘩をしているところをジェームス藤木は何度も目撃をしたことがあるという。
「何はともあれ、あいつにかかったらみんなやられちまっていたよ」と。
しかし、宇梶剛士の運命を変えるような一言を聞いたという。
それはある時電車の中で宇梶に行き会ったときに「これからはまじめになろうよ」と。
それからどのくらい経ったか・・・
宇梶剛士は芸能界に入って行ったのである。
ということで、今回は元暴走族で芸能人になった3人。
バッドボーイズの佐田正樹さん。
バンクブーブーの黒瀬純さん。
俳優の宇梶剛士さん。
についてお届けしました。
宇梶剛士さんについてはタレントで元暴走族のヒロミさんが「あの人は俺が暴走族になった時は雲の上の人で、超有名な人だった」と言っています。
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