クールスのメンバーってみんな暴走族に入っていたんですか?

クールス
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僕のブログでは1950年生まれの舘ひろしさんと1951年生まれの岩城滉一さんが中心になり作ったバイクチームクールスについてメンバーに起きた様々な出来事を取り上げ
分かりやすく解説しているブログになります。

1950年生まれの舘ひろしさんは御年71歳。そして岩城滉一さんは70歳という御年ですが
半世紀近い古の1974年12月13日にバイクチームクールスを結成しました。

とかく世間からは暴走族だと言われ、そのような扱いを受けてきましたが、実際は暴走族ではなくモーターサイクルチームとして活躍し、その後ロックンロールバンドとしても
一時代を築いた伝説のグループだったのです。

この記事ではそんなクールスのメンバーは暴走族に入っていたのか?について見ていきたいと思います。

この記事を見ることで、クールスのメンバー一人一人の暴走族との関係が分かります。

なので、クールスのメンバーが暴走族だったかどうか知りたい方にはピンポイントで解説している記事となっています。

それではさっそく本題に入って行きましょう。

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クールスのメンバーってみんな暴走族に入っていたんですか?

クールスのメンバーを一人一人見ていくことにしよう。

ジェームス藤木の場合

まずはジェームス藤木さんが書いた「ジェームス自伝」を読むと暴走族との関係が頻繁に書き記されている。

その中で、ひときわ目を引くところというのがジェームス藤木が暴走族の端りと言われたブラックエンペラーの集会にたびたび顔を出していることだ。

ジェームス藤木の解説によると、谷田部って言う同級生の奴が居てそいつがブラックエンペラーを作ったということだ。

「事の始まりは国立、立川、府中の奴ら五人くらいで作った暴走族だった」

いつも駒沢公園に集会を開きそこでたむろっていたようだ。

これがいつだったかと言えば、何とジェームス藤木が中学3年生の時だって言うのだから驚きだ。

「俺は集会に出て誰かのケツにいつもたかって走っていたけど自分で免許を取ってバイクに乗ろうとは思っていなかったよ」

当時はまだ「暴走族」っていう言葉が無く街道レーサーって呼ばれていたようだ。

それから4~5年たってからブラックエンペラーが中心となり、関東連合ができたということだ。

ちなみにブラックエンペラーの七代目総長となるのが宇梶剛士である。

「宇梶剛士は同じ富士見台第一団地に住んでいたんだけど、奴は俺より11歳年下だったからつるんで何かをしたって言うことは無いんだよ。お袋同士が飲み友達だったから合えば挨拶程度はしていたけどね」

ということで、ジェームス藤木さんは暴走族とは関わっていたようであるが、自身が暴走族に入っていたということは無い。

舘ひろしと岩城滉一の場合

次にクールスの舘ひろしと岩城滉一であるが、舘ひろしは岩城滉一からイロハを教えてもらうまではバイクの免許すらなかった。なので、暴走族に入っていたという事実はない。

一方、岩城滉一はあっちこっちの集会に顔を出していたようであるが、自身で暴走族に入ったという事実はない。

しかし、どの暴走族も岩城滉一の存在を知っていた事実。

岩城滉一は知らないにもかかわらず、相手の暴走族の幹部連中は岩城滉一の存在を知っていた。なぜなら、岩城滉一のバックには安藤昇がついていたのだからだ。

佐藤秀光、村山一海、中井暢孝、梅村光男、玉川雅已の場合

そして、次に1951年生まれの佐藤秀光、村山一海、中井暢孝、梅村光男であるが梅村光男以外は暴走族に入っていたという事実はない。

梅村光男は走りのジェロニモと言われた走りに定評があった暴走族に入っていた。

そのジェロニモで知り合ったのが3つ年下の玉川雅已であった。

走りのジェロニモでもそのバイクテクニックで群を抜いていたのが玉川雅已であった。

梅村光男は高校生時代に岩城滉一の部屋に居候をしていた時期があって、二人は寝食を共にしていたことから玉川雅已を岩城滉一に紹介することになった。

岩城滉一のケツもちでクールスに入った玉川雅已はその後、岩城滉一と進路を一にした。

ピッピ、ショーボウ、フランク、モガ、ターベ、ナリカワ、イチカワ、サムの場合

次は水口晴幸であるが、高校生の時に三重から東京に出てきて、舘ひろしと出会うまでは

服飾の仕事をやっていて、暴走族とは全然縁がない生活を送っていた。

舘ひろしからバイクの面白さを伝授された水口はその後、バイクの免許を取りに行くことになった。なので、暴走族に入っていた事実は無い。

その他のクールスのメンバー、ショーボウ、フランク、モガ、ターベ、ナリカワ、
イチカワ

このメンバー達には暴走族に入っていた事実は無い。
また、、サムについてはそもそもジェームス藤木と同じでバイクの免許が無いことから暴走族とは縁遠いと言っていいだろう。

大久保喜市、郷田雅之の場合

次には上げるのは大久保喜市である。

途中からクールスに加入した大久保喜市であるが、バイクの免許を持っていたが暴走族には入っていなかった。

そして、

最後になるが、郷田雅之は根っからのまじめ男だから、暴走族に入っていたという事実は全くない。

ということで、今回はクールスのメンバーと暴走族の関係をお伝えしました。

クールスのメンバーの中で暴走族に入っていたというのは梅村光男と玉川雅已の二人だけが暴走族に入っていたということである。

そもそも、クールスは暴走族ではなくモーターサイクルチームとして設立されたチームだから木刀を持って走って、一般人に迷惑をかけるような行動はしていない。

それにも関わらず、当時クールスは世間からは暴走族とみられていた。

この暴走族とみられていたことが、舘ひろし、岩城滉一は腹の底から嫌だったのだ。

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