舘ひろしと岩城滉一との関係|二人とも俳優としてデビューしたが

スポンサーリンク
クールス
スポンサーリンク

 

ご訪問していただきありがとうございます。

僕のブログでは黒の軍団と言われ、1970年代をキャロルが解散した後を

あたかも埋めるがごとく、バンドCOOLSとしてデビューしたクールスについて

記事としてお届けしております。

クールスの中心人物、舘ひろしと岩城滉一ですが二人とも映画デビューをされ

日本を代表する役者になっています。

舘ひろしさんに至っては『終わった人』で第42回モントリオール世界映画祭

ワールド・コンペティション部門最優秀男優賞を授賞され、

2020年には旭日小綬章を受章されるなどその活躍は目覚ましいものがあります。

さて、今回この記事でご紹介するのは舘ひろしさんの映画人生についてです。

この記事を見ることで舘ひろしさんの映画の半生が分かるようになります。

なので最後まで見ていただければなと思います。

スポンサーリンク

全てはキャロルラストコンサートから始まったクールス

 

キャロルラストコンサート

岩城滉一と出会った舘ひろしはバイクチーム「クールス」を結成すると、

仲間たちとバイクで乗り回し、自由気ままに過ごしていた。

そんなころ、岩城滉一を通じてロックバンド「キャロル」のヴォーカル・矢沢永吉から

オファーがあり、、「キャロル」の親衛隊を務めることになったのです。

親衛隊の内容というのが、イギリスのロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ」

アメリカのバイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」を親衛隊にしてコンサートを

行ったことを受け、キャロルもクールスの親衛隊でやりたいと持ち掛けたのでした。

舘さんら「クールス」は、1975年4月13日、日比谷野外音楽堂で開催された、

「キャロル」の解散コンサートで親衛隊を務めると、

たちまち、熱狂する「キャロル」のファンから「キャロル」を守る親衛隊として

脚光を浴び、レコード会社「キングレコード」からスカウトされます。

その後、ロックバンドCOOLSとしてレコードデビュー、俳優デビューと

トントン拍子に突き進んでいったのです。

ここで考察でですが、この時点では矢沢永吉さんと岩城滉一さんは親睦がありましたが

舘ひろしさんとの間には顔見知り程度での関係だったようです。

バンドCOOLSは「紫のハイウェイ」でレコードデビューしましたが、

ただ、当初、舘さんは、バンド結成については否定的で、いったんは断ったけれど

キングレコードの佐々木という若か手のディレクターの熱意に負けた形で

キングレコードと契約をするのでした。

そこには「チームのメンバーを食べさせていくため」という背に腹は変えられな

い事情があったのでした。

「キャロル」解散後の1975年9月、チームの中から選抜した7名と、

ベースとして紹介された大久保喜市の計8名で、アメリカンスタイルのロックンロールバンド「クールス(COOLS)」として、ファーストシングル「紫のハイウェイ」でデビュー。

「紫のハイウェイ」

以降、

「黒のロックンロール」

「ロックンロール・エンジェルス」

「東京直撃」

「ハローグッドバイ」

と、4枚のアルバムをリリース下のでした。

ちなみに、「クールス」のサブリーダーだった岩城滉一は、役者として「東映」からデビューが決まっていたため、このロックバンド「クールス(COOLS)」には参加しませんでした。

スポンサーリンク

舘ひろしの断腸の思いの決断と岩城滉一との関係

 

岩城滉一は、「クールス(COOLS)」がデビューする前、「なんとか他のメンバーも主演できないか」と、東映社長・岡田茂にかけあっていたのだそうです。

しかし、この段階ではまだ映画どころの話ではなくレコードデビューが先決の

状態だったので、バンドもやって、映画にも出たら、メンバーに驕(おご)りが

できてチームがまとまらなくなる という心配から、バンドはやるけど、映画には出ない

と、断ったそうで、岩城さんにしてみれば、せっかく東映に話したのになんだよ

という気持ちになったようで、この頃あたりから二人の間にズレが生じ始めたようです。

バンドCOOLSとしてデビューを果たしたクールスは一段落したとことから

舘ひろしは一度断った東映のオファーを受け入れることになるのです。

「東映」の社長・岡田茂の命の元1976年、「暴力教室」で松田優作の相手役として

抜擢され、俳優デビューするのでした。

この映画では、主演の松田優作さんと、舘さん率いる「クールス」のスクリーン場での

激突が、現在でも大きな話題に。

実は、松田さんは、前年、テレビドラマ「俺たちの勲章」の九州ロケ先の撮影現場で

予備校生への暴力事件を起こして逮捕され、謹慎処分を受けていたという経緯があり、

そんな松田優作と、本物の不良集団である「クールス」が、

「はみだし教師役と不良生徒役」という設定で対決するという触れ込みで

売り出されたことで、たちまち注目をあつめることになり、

舘さんは、そのほかにも、同年、「男組 少年刑務所」で映画初主演を務められると、

「新宿酔いどれ番地 人斬り鉄」(1977)

「新・女囚さそり 特殊房」(1977)

「地獄の天使 紅い爆音」(1977)

「皮ジャン反抗族」(1978)

「野性の証明」(1977)

「薔薇の標的」(1980)

などの映画に次々と出演し、「クールス」のイメージを色濃く反映したアウトロー役を

演じ、強烈な存在感を示したのでした。

ということで今回はこの辺で失礼します。

舘ひろしさんの映画デビューにまつわるエピソードを踏まえ、

舘ひろしさんと岩城滉一さんの関係、そして当時のクールスの状態などをお届けしました。

バンドと映画と一緒にはできない理由が舘さんなりにあったんでしょうね。

それにしても、その時の状況を岩城さんと舘さんがもっと突っ込んで話していれば

二人の間にはすれ違いは生まれなかったんじゃないでしょうか。

最後まで見ていただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました