岩城滉一の若い頃と今現在|私の履歴書

クールス
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僕のブログでは1970年代という激動の時代を黒の革ジャンに身を包みそのカッコ良さと話題性でたちまち時代の寵児へと上り詰めたバイクチームクールスについて記事としてお届けしております。

当時クールスにどんなことが起こりクールスのメンバー達がどんなことを思い、立ち向かって行ったのかを事実に忠実にを前提に記事にしております。

今回取り上げるテーマは当時のクールスにはこの人が居なかったらどうにもならなかったであろう人物、岩城滉一さんについて取り上げたいと思います。

クールス時代の若き頃の岩城滉一さんと今現在の岩城滉一さんについてのお話です。

題して「岩城滉一の若い頃と今現在」です。

この記事を見ることで岩城滉一さんの見識が深まること請け合いですよ。

なので時間の許す限り見てもらえればなと思います。

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岩城滉一のモテぶりと舘ひろしの出会い

まずは岩城滉一さんを語るにはやはり舘ひろしさんとバイクチームクールスを作った若い頃から取り上げなければならないでしょう。

岩城滉一さんは若い頃からその端正な顔立ちとセンスの良さで女の子がほっておかなかったようです。

中学2年生の時にはすでに年上の先輩女性の家にひも的に入りびたっていたり、高校生の時にはモデルの娘の部屋で同棲をしていたりと、それはそれは男冥利に尽きる生活をしていたようです。

高級時計は買ってもらうは、挙句の果てにはハーレーまで買ってもらったとか。

全ては岩城滉一さんのイケメンでカッコいい、そしてアンニュイなしゃべり方で周りにいる女の子をふにゃふやにしてしまっていたということでしょう。

舘ひろしさんと運命的な出会いを果たした岩城滉一さんは自分がリーダーにはならず、舘ひろしさんをリーダーに据え、自分は陰に隠れるという選択肢を。

元来、「俺が俺が」というタイプではなかった岩城滉一さんと言ってしまえばそれまでですが、岩城さんには岩城さんなりのアンテナが働き「自分がリーダーになるよりひろしがリーダーになる方がいい」と判断したのでしょう。

なぜなら、クールスを作る以前から色々なところからお声がかかっていた岩城滉一さんだったから。

バイクに乗っている姿がいろいろなメディアにとまり、オファーがいろいろとかかり始めていた頃だったのです。

なので、リーダーという重責は担えないと判断したのだと推測されます。

岩城滉一さんは野生の臭覚みたいなところがあり、感覚で「リーダーなんかやっている場合じゃないな」と判断したのかもしれません。

岩城滉一さんと舘ひろしさんの性格の違い

岩城滉一さんが野生の臭覚を持ち合わせているとすれば、舘ひろしさんは理詰め行くタイプのように思われます。

舘ひろしさんが理詰めで行くタイプと言うのを立証した出来事がありました。

立証した出来事と言うのはバンドクールスが初めてのレコーディングに臨んだ時のこと、

キングレコーに赴きお昼をねだった時のことです。

キングレコードの担当、佐々木寛さんに「お昼は鰻の上にしよう」とおねだり。

佐々木さんはしぶしぶバンドクールスのメンバーとスタッフのクールスのメンバー分の鰻を注文することになったのですから。

舘ひろしさんはリーダーとしてクールスのメンバーに鰻を食べさせたいと思って、おねだりを決行したとか。

佐々木寛さんに対してのおねだりは理詰めで考えた上での勝算があってのことだったようですから。

キングレコードで鰻の上をおねだりするエピソードに関しては水口ピッピ晴幸のKeep on rollin’でピッピさんが以下のように言っていました。

「だって大将はとんでもない事でも通しちゃんだもんね。だってそうだろう。キングに行った時だって佐々木君にメンバー全員に鰻を食べさせてくれないか」等と言っちゃてさーって。

岩城滉一さんは舘ひろしさんの性格を読んだうえでリーダーにさせたのかもしれませんね。

岩城滉一さんのクールスでの活動はキャロルラストコンサートを最後に終焉を迎えます。

岩城滉一さんは自分が映画やら歌手やらで忙しくなることを予想していたのかもしれません。クールスのメンバーが居るも溜まっていたレオンから足が遠のいていった岩城さん。

岩城滉一のクールスからの脱退

玉川雅已さんを連れ立って東映の映画の収録に望みます。

一度流れ出した水は元のお椀には戻れません。

岩城滉一さんの歩む道はクールスとは違う道を選んだのです。

クールスを脱退するという表明はしていませんでしたが、実質上の脱退をした岩城滉一さん。
安藤昇さんに見いだされた岩城さんは映画の道に没頭し、倉本聰脚本の「北の国から」に出演を果たすことになるのです。

後のインタビューで岩城滉一さんは「僕にとって北の国からは特別な作品だったんです。北の国からに出演したことで俳優人生、そして人生そのものが変わったんです」と。

北の国からに出演する以前は覚せい剤取り締まり法違反と銃刀法違反で身柄拘束を受け、刑務所にまでは行かないまでも有罪となり、執行猶予処分になった岩城さん。

反省など全然見せないで、「覚せい剤をやって何が悪い」などと世間を仰天させていた。クールス時代の岩城滉一を知っている世間の人たちは「やっぱり岩城滉一は暴走族だったからしょうがねーよな」とか「クールスに居たんだから不良だから」等と思われたようですね。

不良まっしぐらだった岩城滉一さんが北の国からの出演をきっかけに「本腰で俳優業をやるようになった」ということなんですね。

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岩城滉一の今現在は「北の国から」から始まった

70歳になった今現在YouYubeチャンネルをやりながら人生の終活をしている岩城滉一さん。

人生を変えてくれた北の国からの出演。ついには北海道移住計画を発表。

いくつになっても大胆さは持って生まれたものなのだろうか?

一度きりの人生。岩城滉一さんは「俺の人生は最高だった」と死ぬ前に言えるように・・・

やりたいことはやるスタンスでいるんですね。

最近のニュースでは世界に61台しかない世界最先端のオートバイ「P51コンバットファイター」を買い、インタビューを受けている岩城さん。

印象的だったのは映画トランスフォーマーに出てきオートバイに跨り「いいでしょう」と言っていた笑顔が正に子供そのもの。

いつまでもいつまでも子供のような岩城滉一さんですね。

ということで、岩城滉一さんの二つの履歴書ということでお伝えしてきました。

それにしても北海道移住は結城アンナさんはどうされるんでしょうか?

一緒に行くのか行かないのか気になるところですよね。

最後まで見ていただきありがとうございました。

それでは次の記事でまたお会いしましょう。

おーちゃんでした。

ではまたバイバイ。

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