はいこんにちはおーちゃんです。
ご購読ありがとうございます。
僕のブログでは舘ひろしさんと岩城滉一さんが青春の真っただ中、アメリカングラフィティに憧れイージーライダーに代表されるチョッパーのバイクに魅了されるがまま作り上げたバイクチームクールスについて史実に忠実に記事としてお届けしております。
今回お届けするのはクールスの成り立ちについてどのようにしてメンバーが集まって来たのか、いくつかの流れがあるので分かりやすく解説していきます。
この記事を見ることでクールスの成り立ちの流れが分かると共にクールス結成にあたってキーパーソンになった何人かのクールスメンバーが居たことが分かるようになります。
なので、クールスファンはもとより最近クールスにちょっと興味があるあなたにも見てもらえればなと思います。
それでは本題に入って行きましょう。
クールスメンバーサムはアズールでバーテンを
まずはクールスの成り立ちの中でこの人を抜かしたら語れないという重要な人はサムさん。
サムさんは実名は久木好文と言い、乃木坂にあったアズールでバーテンダーのバイトをしていました。
遠藤夏輝さんが書き記した原宿ブルースカイヘブンでは熟練したバーテンダーとして描かれていますが、アズール前の職歴だとかアズールオーナー山口洋子との関係などは書かれていません。
原宿ブルースカイヘブンで描かれているサムさんはジェームスさんをピッピさんに紹介する場面で描かれています。
ピッピはサムに向かって「いつもの奴」とオーダーをした。
出てきたハーバーのダブルのロックを一口飲んだピッピはサムに向かって口を開いた。
「サム、昼間電話で言っていた面白い奴って言うのはまだ来てないのか?」と。
「そろそろステージに登場するよ」
「ステージって弾き語り?」サムは無言でうなずいた。
ハーパーのオンザロックを飲み干し2杯目をオーダーしようと思ったときその男はステージに現れた。
アルカポネを彷彿させるようなギャングスーツに身を包んだその男は白人そのもので日本人では出せない雰囲気を醸し出していた。
男はステージにあるスツールに腰を下ろすとお客がまばらな店内を見渡すといきなり歌いだした。
俺はあっけに取られてしまった。
なぜなら、白人が歌いだしたのはクールファイブの「そして神戸」だったから。
ギャングスーツを着た白人が歌うのにはギャップがあり過ぎる歌だったのだ。
次に歌った歌もクールファイブのナンバーだった。
その後も演歌を歌って30分のステージが終わり、控室に姿を消した。
サムが口を開いた。
「ピッピそのうち、こっちに現れると思うから紹介するよ」と。
すると後ろから「サム、コロナを一本空けてくれ」と。
「ジェームス、お疲れ、この前話していたピッピ」
サムはキャップを空けたコロナをジェームスに渡すと、美味しそうに一気に飲み干してしまった。
「ジェームスっつんだ。よろしく」
「聞かしてくれるじゃん、ヨロシク」と。
俺達はどちらからともなく握手を交わしていた。
「サム、俺のおごりでジェームスに何かやってよ。それからこれお替り」と。
以上のようにサムについては書かれれているのです。
アズールが紹介の場になってクールスのメンバーになったのはピッピさんだけだったのだろうか?
舘ひろしさんや岩城滉一さんもアズールに出入りしていたというのは原宿ブルースカイヘブンでも紹介されている。
アズールがメンバー達の顔合わせの場になったのは確かな事実なようだ。
次にメンバーたちの出会いの場になったのはディスコ・ビブロスと言っていいだろう。
ビブロスは大久保喜市の青春でありクールスメンバーの出会いの場所
大久保喜市が書き記したストレンジブルーの中ではビブロスでの体験が生々しく書き記されている。
夜な夜な刺激を求め、女を求め足しげく通っていたビブロス。
クールスのメンバーになる以前の大久保喜市の生きざまはビブロスにあったと言っていいほど、どっぷりとビブロスにハマっていた進むべき道を見失っていた青春時代。
ビブロスには後にクールスのメンバーになるジェームス、佐藤秀光、村山一海、フランク
シャチョウ、サム、ターベなどなどメンバーがたむろし、大きな流れを作り始めようとしていたのである。
当時のディスコは男と女が出会う格好の社交場所になっており、有り余る情熱やら性欲やらをぶつける絶好の場所になっていた。
次にクールスのメンバーの出会いの場所となっていたのは舘ひろし、村山一海が働いていたGRASSと言っていいだろう。
GRASSに集まるクールスメンバーと舘ひろしと村山一海
当時のGRASSと言えば、ファッションリーダー界のリーディングカンパニー的な位置づけになっており最先端のファッションが手に入るお店になっていた。
「女にもてたい」という感情を満たしてくれるのはGRASSにある「まぶいコーデ」たち。
GRASSに足を運んでいた連中が自然に話をするよになり、大きな潮流がそこに生まれて行った。そこには岩城滉一やら矢沢永吉の顔もあったほどだ。
そして、いよいよ岩城滉一と舘ひろしが動き出してクールス結成の1974年12月13日を迎えることとなったのである。
ということで、今回はクールスのメンバーの出会いの場所になったアズール、ビブロス、GRASSにまつわるお話をしました。
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