はいこんにちはおーちゃんです。
読んでいただきありがとうございます。
岩城滉一さんから今現在の真の心境を聞くことができました。
舘ひろしさんと作ったバイクチームクールスで青春をぶち抜いたヤンチャ時代からは
想像もつかない一言が。。。
僕のこのブログではバイクチームクールスからバンドクールスまで、クールスに起きた
出来事やメンバーの感情おも取り入れながら記事としてご紹介しています。
この記事では岩城滉一さんが今現在何を思い生きているのか、どんな新境地なのか
真の心境をお聞きすることができましたので、記事としています。
この記事を見ることで岩城滉一さんが70歳になって始めたYouTubeをどのように考えているのかが分かるはずです。
なので、クールスファンはもとより岩城滉一ファンのあなたにも見てもらえればと思います。
それではどうぞ
岩城滉一とキャンプは切り離せないですね
岩城滉一さんが居るのはここ福島県にある磐梯グランデコスキー場。
岩城滉一さんがスタッフに話しかける。
「ここのスキー場でキャンプすると下界のように下の方に明かりが見えるんだよ。
それに、ここの夜空は満点の星が見えるから最高なんだよ」と。
「下の方に見えるんが良いんだよね。夏場なんかは星が凄いんだよね」と
思い出しながら微笑んでいる岩城滉一さん。
キャンプが好きでこのキャンプ場の良さを体で表現しているようだ。
キャンプ場についてさっそく始めたのがコーヒーをスタッフたち含め5杯を用意するため
手際よくターブルや椅子などを組み立てコーヒーに使うお湯を沸かし始めたのだ。
「このさージェットボイルっつうんだけど、お湯を沸かすのはこれが一番早いんだよ。
これの右に出るもんは今のところないよね」とキャンプ通をさりげなくアピール。
あっという間にお湯を沸かしコップに注ぎこみながら口を開いた。
「この目分量凄いだろう。バッチリちょうどいい量だろう」と自画自賛。
紙コップ5杯分のコーヒーはあっという間に出来上がった。
「俺はさ~子どもの頃ボーイスカウトに入りたかったんだよ。キャンプに行って飯ごうで飯炊きたかった。でもさ~親父にボーイスカウト入りたいって言ったけどあまりいい顔し無くては居れなかった。
だからさ自分で飯ごう買ってボーイスカウトみたいなこともやっていたんだよ」
今から何十年前だ?そうだな~少なくても60年前の話だな」とニコニコ。
今はさ~ 道具が良くなっちゃって「テケル君」って言って電気で飯が簡単に炊けちゃんだよ。
K-1のタケルが勝手に俺の名前使うなって怒っちゃうよね~等とダジャレも飛び出した。
岩城滉一がYouTobeと人生論を語る
コーヒーをスタッフに配り、まったりとしていると岩城滉一は立ち上がり、
駐車場の掃除をしている女性に声を掛けた。
「あなたここのスタッフの方?」と。
「いいえ、違います」
「じゃーボランティアの方?」と。
「はいそうです」
すると岩城滉一は「偉いね~」と返した。
女性は「ゴミのご協力ありがとうございます。ごゆっくり」と去って行った。
岩城滉一は「皆はさ~都会で彼女を見つけるんじゃなくて、こういうところで見つければいい子が見つかるよね~」とご満悦。
そして、
椅子に座りながらコーヒーを片手に 岩城滉一は本題を語りだした。
「最初はさ~ YouTubeなんて見向きもしないし興味も何にもなかったんだよ。
それがこの歳になってあと何年生きられるかと思ったときに考えたんだよ。
YouTubeってありのままの自分のその時の姿を家族に残してあげられるでしょう。
だから、俺は家族のために自分のために動画を撮っているのだよね。
自分のアルバムを作れるんだな~って思っている。
自分の体が動けるうちに若い時のようにとはいかないけれど、動いて動画を撮っている。
だから今はとても楽しいのよ。
現実を受け止めてさ~ 今自分は何をして何を考えているのかをシッカリと掴んでいないとさ~ え!こんなはずじゃなかった~何て言うことになっちゃうから。
そうしていれば、例えお金が無くなってもあるいは何何が無くなっても 自分の進むべき道がはっきりしているからうろたえないからさ。
自分と向き合いながら生きて行くっていることだよね。
だからさ。死ぬまで元気っていうのがいいんじゃないのかな。
死ぬまで元気って言うのは病気じゃなくて死ぬときはあっさりと行きたいって言うことさ。
以上のように語っていました。
YouTubeは自分アルバムを作り、家族に残せるから今自分と向き合ったときにできることであること。
そして、あと何年生きられるか分からないけど、死ぬまで元気でいたいという人生観が分かりましたね。
ということで、今回は岩城滉一さんの70歳の今の心境についてお届けしました。
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