クールス佐藤秀光の4畳半からの再出発「これで俺も終わり、クールスも終わりだ?」とは

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クールス
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人には一度や二度は「もうだめだ。俺はこれで終わりだ」などと八方ふさがりになり

どうにもならないことがあるものだ。

われらのクールスでも同じこと。ニューヨーク録音が終わりクールスは軌道に乗り、

これからというところだった。

しかし、ボーカルのピッピこと水口晴幸が脱退をしてしまったのである。

リーダーの佐藤秀光にも脱退理由は言わないままの離脱だった。

後のインタビューで佐藤秀光さんが言っていましたが・・・

「ピッピはそのころ、役者の仕事に精を出していて勝新太郎さんとも付き合いが深くなり、

独り立ちをしたいと思っていたに違いない。歌の方もソロでやりたいと思っていたと思うよ」と。

当時のクールスとしてはツインボーカルの一角に辞められたのだからちょっときついところもあったであろう。

しかし、そんなことは当時のクールスの勢いを止める要因にはならなかったのである。

村山一海が見事にボーカルを一人でやり遂げていたのであった。

とはいえ、クールスはシャナナスタイルが元来の姿。これを受けてリーダー佐藤秀光は

予想だにしない采配を下すのであった。

それが、ローディーでありクールスの身の回りの世話をしていたスタッフ、横山剣の

ボーカルでの起用だったのである。

これにはクールスのメンバーの村山一海、ジェームス藤木、飯田和男、大久保喜市も驚きを隠せないでいたようだ。

しかし、メンバーの心配もよそに横山剣は元来の才能を存分に発揮したのであった。

それは小学生時代から書き留めてあった膨大な歌詞とステージにたった時の堂々たる

彼の態度はメンバーの想像をはるかに超えたポテンシャルを秘めていたのだあった。

横山剣の才能とジェームス藤木の天才的才能が融合することでクールスは一段高みへと昇ることになる。

このままクールスは勢いに乗って大きな花を咲かせるだろうと誰もが思っていた。

しかし・・・

さて、今回はこの続きである佐藤秀光さんの私生活に踏み込んで見ていきましょう。

この続きを見ることで「どん底に落ちた佐藤秀光さん」を知ることになります。

なので、クールスファンのあなたにはぜひとも見てもらえればと思います。

それでは本題に入って行きましょう。

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クールス佐藤秀光の4畳半からの再出発

 

佐藤秀光のギャンブル好きや女好きなどの要因から家庭内が泥沼化になり、

奥さんと離婚をすることになってしまった。

クールスを運営して行くにも金がかかる。しかし、その当時の佐藤秀光はそれどころではなく家庭内のいざこざで窮地に立たされてしまったのである。

別れた女房から弁護士を入れて裁判を打たれてしまい、それが原因で手持ち資金が底をついてその日の食い物にも困る始末。

とうとう、住んでいたマンションから引っ越しをしなければどうしようもない段階になっていた。
引っ越したのは実家のある川崎市の宮前にあるボロアパート。家賃が38000円という訊かれたら恥ずかしくて案内なんかできないほどのアパートだった。

心配してくれた親父が見つけてきてくれたアパートだ。

スターだった佐藤秀光には自尊心が崩壊してしまうほどの屈辱だったことだろう。

しかし、彼は今の現実を受け止めるしかなかった。

アパートは2Kの間取りで、6畳と4畳半だった。

もちろんシャワーなど付いていない風呂場に入って湯船にためたお湯で頭を洗う。

直ぐにお湯が無くなってしまい、貧乏を感じていたという。

6畳は当時飼ていたヘビとトカゲ部屋にした。

そして、4畳半が佐藤の部屋だった。

一人で住むには広すぎると感じるくらい寂しさが佐藤を襲っていた。

「もうこれで俺は終わるのか?クールスも終わってしまうのか?」と。

でも佐藤秀光は「メンバーには迷惑はかけられない」と常に思っていたようだ。

それを裏付ける出来事がある。それは横山剣のクールス脱退だったのである。

表立ってはレコード会社の意向と合わない横山剣の存在がそれ以上いたたまれなくなって辞めることになったような言われ方をしているが、実は前途ある横山剣のことを思って

リーダーとして佐藤秀光が「これ以上グループに居るとお前に迷惑がかかる」ということで脱退勧告をしていたというのだ。

生活を何とかしなければならないということで、佐藤はマンションの管理人の仕事に就く。

そして、自分の足元から固めてグループの運営を軌道に乗せようとしていた矢先、

モデルルームでシャワーをしていた佐藤秀光を内乱に来た不動産屋の社員と内乱者に目撃されてしまい仕事を失うことになってしまう。

クールスを維持させるのにはそれなりの金がかかる。

しかし、佐藤には離婚後の保証金やらでどうにもならない状態に陥っていた。

そんな状態を打開し、彼を地獄のどん底から救ったのは何だったのだろうか?

それこそが「4畳半からの再出発・ハングリーゴッド」だったのだ。

「ここが人生の底だ。これ以上、落ちようが無い。後はじりじりと這い上がるだけだ」という

元来の佐藤秀光が持っていた「なにくそ精神」が彼を救ったのだ。

彼は自分と向き合い「離婚」という失敗を糧にし復帰を果たすのであった。

彼の携帯には当時住んでいた2Kのアパートの写真が保存してあるという。

その後、12年間もそのアパートに住んでいたという。

ということで、今回は佐藤秀光さんのどん底生活に陥った時のことをお話ししました。

それにしても人生にはいろいろとありますが、佐藤秀光さんも苦労をされているのですね。

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