【クールスメンバー希少インタビュー】ジェームス藤木、佐藤秀光、村山一海が語る

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クールス
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今回は非常に珍しいクールスメンバーのインタビューの模様をお届けします。

そもそもクールスのメンバーがインタビューを受けること事態少ない中、対談という形でのインタビューは非常に珍しいものです。

このインタビューが行われたのは2008年に行われたライブの後のもので、インタビューアーを対面に佐藤秀光さん、村山一海さん、ジェームス藤木さん三人が椅子に座り、
インタビューに臨んだものです。

僕のチャンネルでは1974年12月13日の金曜日に結成したバイクチームクールスからキャロルラストコンサートを経てバンドCOOLSとして今現在なお活動中のクールスに起きた出来事やメンバーの今現在を動画としてお届けしております。

この時大事にしていることは史実に忠実にを大前提に記事を書いているということです。

とかくインターネット上で出回っているような根も葉もない情報ではなく、根拠のあるものだけを分かりやすく記事としてまとめているということです。

なので、クールスの情報を知りたい方にとってはとても重宝するブログになっていると思います。

さて、今回のインタビューではどんなレア情報が飛び出すのか楽しみです。

それではインタビューの模様を覗いてみましょう。

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ジェームス藤木、佐藤秀光、村山一海が語る

 

インタビューアーが口を開く。

そもそもバンドを組んだきっかけは何だったんですか?

村山一海が間髪入れずに口を開いた。

「俺の場合は2年くらいやれば良いと思っていた。キャロルがあってクールスがあるって言う感じかな。 個人的な考えとしては、俺の場合は女にもてて金がもうかればいいって言うことで軽い考えだったね。

それに30何年もやるつもりなんて全然なかったしね。

後はキャロルが辞めて日本のロックンロールが無くなるんじゃ寂しいって言うことで
出発はそこんところかな~」

それを聞いていた佐藤秀光が間髪を入れずに口を開く

「 俺はさ~デビューする前からベンチャーズとローリングストーンズをやっていたからね。ちょっとかじっていたんだね。そしてさっきも言ったけど、芸能界にはキャロルが辞めていい流れがあったと思うよ。要するにはタイミングが良かったのと運が良かったって言うことだね。

だってそうだろう、俺達みてえに素人がバンドなんかするんだからさ。普通は音楽学校に行って音楽を学んでデビューするためにそれなりの用意をしても、デビューなんてそう簡単にはできない世界だからさ~

そう考えれば俺たちはラッキーだったんだろうな」と。

二人の話を聞いていたジェームス藤木が口を開いた。

「後は、原宿だよ。原宿。レオンっていう喫茶店にたむろしてたんだけど、そこには当時のいろいろなブレインが集合していたんだよね。

そのレオンに俺たちが出たり入ったりしていたから、だんだん俺たちのことが噂になって行ってさ。要はおしゃれだったんだね。

俺達は革ジャンに大型バイクを乗り回していたんで、世間にだんだん有名になって行ったんだよね。すると、俺たち見たさにレオンにギャラリーが集まり始めたんだよ。

そんなこともあって、俺達はデビューに向けてその気になって行ったと思うよ。

ギャラリーだけだったらよかったんだけど、暴走族なんかはクールスを潰そうなんて来たこともあってね。良いことだけならいいんだけど、そんなめんどくせえこともあったよな。

そんな関係で、原宿にはどんどん人が集まってきて原宿文化が花開いてさ~

ホコ天なんかができたのも俺たちのせいなんだよな」

次にインタビューアーがハーレーダビッドソンについて質問をした。

村山が口を開く。

「俺達の時代はイージーライダーの時代だからさ。あのカルチャーショックは大きかったね。 あの映画を観てハマっちまったんだね」

ジェームスが口を挟んできた。

「要はさ~ 人と違うバイクに乗ろうと思っていたんだよ。それがハーレーにはあったし、当時としてはハーレーなんぞには追いそれ乗れたもんじゃなかったから、ハーレーに乗れればそれはそれは拍が付いたんだよね。

ハーレーって言うと親父が乗るイメージがあったけど、中でもハーレーのスポーツタイプはなかなか無かったんだよね。 それを俺たちは乗りたくて乗りたくて探して探してやっと手に入れて乗ったんだよね。

以上のようにこの質問については面白いもので、ジェームスさんが話に入ってきて、佐藤秀光さんは語らなかったのです。

次にインタビューアーがクールスの音楽について質問してきた。

村山一海が口を開いた。

「アルバムの1枚目2枚目はいろんな人が曲を書いてくれて、やったね。レコード会社はキングレコードだったね。

俺達の唄はアメリカのオールドミュージックが基本にあって、シャナナをお手本にしていたんだよね」

それを聞いていたジェームスが口を開いた。

「俺はさ、ウッドストックを見てカッコいいなと思ったのはシャナナとスライなんだけど、

それが原点だよね。他と違うぞっている存在感だったよね」

ここでちょっと説明を加えておこう。

ウッドストックとは1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、アメリカのニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。

約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントだったのである。

そして最後の質問がインタビューアーから発せられた。

ライブハウスHungryについてお聞かせください。

佐藤秀光が口開いた。

「あれを作ったのはちょうど一年前だよね。今が2008年だから2007年のことだよね。

それまでは日比谷が俺達のホームグランドみたいだったけど、今はHungryがホームグランドになっているよ。

一年間に3回ライブを開くんだよね。オーディエンスはみんなバイクで来てくれるよね。

バイカーにとってはちょうどHungryまでの距離がちょうどいい距離なんだよね。

Hungryは誰にも貸したりはしないし、俺達だけのためのライブハウスなんだ。

大黒ふ頭からHungryまでのツーリングは定期的にやっているけど、走るだけのイベントって他には無いんですよ。 世界中探しても無いんですよ。

でも、最初は心配していたけど、やるたびに参加者が増えて行くんでほっとしてんですよ」と。

ということで、今回は2008年にインタビューに応じてくれたクールスメンバー

佐藤秀光さん、ジェームス藤木さん、村山一海さんの希少インタビューをお届けしました。

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