岩城滉一の人生はクールスではなく結城アンナで決まっていた

クールス
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岩城滉一さんと言えば1981年に放送されたテレビドラマ
北の国からの草太兄ちゃん役で一躍有名になり

アッという間にお茶の間の誰でもが知る役者となった芸能人です。

今回この記事ではそんな岩城滉一さんに焦点を当て記事を書いてみました。

この記事を見ることで若かりし岩城滉一さんがどんな青春を送っていたのかが分かるようになります。

なので岩城滉一さんやクールスに興味のなる方は最後まで見てもらえればなと思います。

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岩城滉一の青春時代はバイクチームクールス?

岩城滉一さんと言えばなにわともあれバイクを抜かしては語れないでしょう。

なぜなら、バイクが好きな岩城滉一さんはバイクチームクールスを舘ひろしさんと
設立することになり

当時の若者のハートを鷲掴みにしてしまったから。

暴走族が主流だった当時、突如として現れたバイクチームクールス。

黒の革ジャンに身を包みまたがるバイクはオールブラックにペイントされたハーレーやZⅡ。

ポマードでばっちり決めたリーゼントヘアにサングラス。それはそれはイカシタ連中だった。

イカシタやつらと言う意味のクールスは文字通りイカシタ連中だったのである。

クールスのメンバーの中でも岩城滉一と舘ひろしは群を抜いていた存在だった。

岩城滉一には雑誌からのオファーや東映からのオファーそしてレコード会社からのオファーが

立て続けに続く始末。クールスを設立した1974年にはすでにレコードデビューまで決まっていたとか。

岩城滉一と結城アンナの出会い

この時、岩城滉一は23歳で結城アンナは18歳だった。

舘ひろしとバイクの話で意気投合しクールスを作った岩城滉一であったがクールスのメンバーとは

所詮考えが違っていた。なぜなら、他のメンバーとは一線を画していたからだ。

それは「俺にはアンナが居る。そして生まれてくる子供もいる」ということ。

結城アンナとの同棲生活が岩城滉一の行動のすべてだったのではあるまいか。。。

岩城滉一は結城アンナと出会う前には生まれ持ったイケメンそして、アンニュイなしゃべり方で

周りにいる女の子のハートを虜にしていた。

「遊びに行けば岩城滉一の周りにはひっきりなし女の子がへばりついてきていた」などと

クールスのメンバーであるシャチョウこと梅村光男さんが証言している。

このように岩城滉一の若い頃は変な話「女には不自由はしなかった」状態だったようだ。

女の子からの貢ぎ物は高級時計に始まりハーレーダビッドソンなどもあったのだから。

そんな彼であったが結城アンナと出会ってからは今までもとは行動ががらりと変わり

「アンナ一筋」になったというのだから驚きだ。

岩城滉一さんと結城アンナさんのなり染めは「SARA」と言う喫茶店だった。

岩城滉一さんが大学生で20歳。そして結城アンナさんが16歳でモデルをしていた時だった。

岩城さんはアンナさんのことを次のように言た。

「目に入れても痛くないくらい可愛いと思った。僕は日本語以外ダメ。
その日本語も危うい位だから、ちゃんとコミュニケーション取れてないと思う。
でも、それが良かった。…僕がどれ程、度悪いことしてるかわかってないから」

そして、結城アンナさんは次のように語っていました。

「私は日本語が分からなかったので週刊誌に何が書いてあるかわからないの」

オシドリ夫婦に見える岩城滉一さんと結城アンナさんですが何度となく離婚の危機を乗り越えているみたいです。

当時の岩城滉一さんはお金が無くアンナさんからいつもお金をもらっていたようです。

「このお金で勝ってきてね」とパチンコ代を貰っていたとか。

交際が始まってから4年が過ぎた岩城滉一さんが24歳、結城アンナさんが20歳の時

二人は同棲を始めたのでした。

そして、同棲を始めてからすぐに赤ちゃんを授かることになったのです。

まぁ~今回は岩城滉一さんと結城アンナさんのなり染めについてお届けしましたが

岩城滉一さんは結城アンナさんとの出会いで大きく人生が変わったように思います。

ほかのクールスのメンバーとは背負っていたものが違ったということでしょうか?

あなたはどう思いますか?

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