僕のブログでは黒の革ジャンに身を包み、真っ黒にペイントされたバイクに跨り
見る者の度肝を抜き、激動の時代1970年代を駆け抜けていった黒の軍団、クールスについて独自な観点から取り上げ解説しています。
僕は史実に忠実にを大前提に、あらゆる情報から裏付けのとれている情報だけを取り扱い、記事を書いています。
なので、クールスのついての情報をサクッと手に入れるのには僕のブログは大変重宝すると思います。なので、ブックマークをしておくと便利だと思いますよ。
今回このここで取り上げるのはバンドCOOLS以外の「その他のクールスのメンバー」について取り上げ、語って行きたいと思っております。
なお、クールスのメンバー全員については情報が乏しいので僕が今現在把握している範疇内で解説しておりますので、ご了承あれ。
それでは本題に入って行きましょう。
バンドクールス以外のその他のクールスのメンバーはどうなったの?
佐藤秀光が口を開いた。
「俺達は恵まれていたと思うよ。だってそうだろう。キャロルが辞めたあとでちょうどタイミングがよかったんだよ。世間がキャロルの抜けた穴を埋めるバンドを待っていたのさ。
そこへ、俺たちがデビューしたもんだから受け入れ態勢が出来上がっていたというわけさ。
デビューって言うのは簡単にできるもんじゃない。専門の音楽大学に行ったってたやすくデビューなんてできないご時世さ。それが俺達みたいな素人軍団がデビューを果たし、
その上、その当時のアイドルたちをなぎ倒して絶大な人気を勝ち取ったんだからな。
何て言ったって、俺達はラッキーだったんだよ」と当時を思いめぐらす。
ヒデボウが言ったことに対して口を開く者は居なかった。
皆多かれ少なかれそのように思っているようだ。
ここはカフェドロペのいつもの定例総会での一コマである。
「ちょっといいですか。ボス?」とターベが口を開いた。
「アーそうだったな、今後の予定をメンバーに伝えたいと言っていたな」とボス。
「はいそうです。今後の日程をちょっとお伝えしたいと思っています」
「ターベ一遍に言ったって覚えてられねえぜ。ざっと説明してくれ。そして、またその時になったらまた説明を頼む」とピッピが苦笑い。
「はい分かりました。それではざっくりとやります。」
ターベは持ってきた自分のノートを取り出し、一瞥。
「それではまずは八王子に行ってもらいます」と。
「こまごまして話さないで通しで話せよ。通しで」とヒデミツ。
「はい分かりました。八王子のデパートの屋上にあるビヤガーデンでが初仕事で
その後は長崎のナイトクラブです」と。
「あそうそう、今日決まったんで後で話そうと思っていたんですが、テレビのレギュラーも入りました」
そのテレビに食いついてのはジェームスだった。
「テレビのレギュラーってなんだよ?」と。
「はい、夕方からやっている銀座nowです」と。
喜市がうなった。
「あの銀座nowか!?」と。
「はい、その銀座nowです。10月から6ッか月間のツークールの契約です」と。
「そりゃスゲーなー、いかしているじゃん、これから忙しくなりそうだな」などと
メンバーが思わず声を発していた。
それぞれの道を歩み始めたクールスメンバー達
このような形でバンドクールスの活動は現実となって行ったのである。
この時点でのグループとしてのクールスメンバーは15人を数えていた。
そして、バンドクールスの選抜に漏れたクールスのメンバーについてはどうなったのだろうか?
岩城滉一、滉ちゃんは東映の撮影が忙しくなり、6月ごろから顔を出さなくなっていた。
そして、滉ちゃんを兄貴と慕っていた玉川雅已、マチャミも滉ちゃんと行動を一にしていた。バンドのメンバーだったシャチョウこと梅村光男はクールスから脱退し、故郷のある
石川県金沢市に稼業をつぐため戻ることになった。
郷田雅之はバンドクールスの選抜に選ばれたにもかかわらず、リーダー舘ひろしのオファーを断り、自分の夢を追っかけてアメリカに渡り、ハーレー本社を訪れることになり、その後はバイクいじりが本格化しMotercycle Godaを立ち上げることになる。
その他のメンバーではバンドクールスの裏方に回り、マネージャー的な立場でやってくれていたのが、ターベさん、サムさん、モガさん、ショウボウさんでした。
この写真はモガさんです
また、舘ひろしを取り囲む3人、ジェームスさん、ヒデミツさん、ムラさんと同い年の
中井暢孝、ヨーチンさんはクールスの顧問になるのでした。
大学生だったナリカワさんとイチカワさんは雑用的なことをやっていたようですが、舘ひろしがクールスを脱退する時にはターベさん、サムさん、モガさん、ショウボウさんは付いて行ったようです。
ナリカワさん、イチカワさんは大学生として戻って行ったようです。
その後、ずっとリーダー舘ひろしについていたかどうかということは分かりません。
舘ひろしとセクシーダイナマイトの時にはまだ、ターベさん、サムさん、モガさん、ショウボウさんは居たようですよ。
なぜなら、クールスデビュー30周年をクロコダイルで企画したモガさん。
この時に、現クールスのメンバー達と同じステージに舘ひろしが登場し、唄を披露したのですから。
それだけ、モガさんたちの影響は大きかったということでしょうから。
30周年の記念コンサートの時の舘ひろしのマネージャーは玉川雅已さんだったはずです。
岩城滉一と行動を一にしていたマチャミさんも何時しか表舞台から姿を消し
裏方の仕事に移って行ったようです。
その後の足取りとしてはお亡くなりになる5年ぐらい前より、世田谷で「鳥滉」という焼き鳥屋をしていたようです。
最後になりますが、舘ひろしさんは自分がクールスを脱退する時に
残りのメンバー全員を引き取っているということ。
流石リーダーとしての責任のある行動だということです。
ということで、今回はこの辺で失礼します。
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