【ついに明かされる】COOLSデビューはこうして実現された!

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クールス
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1970年代にすい星のごとく現れ、当時のロックンロールそして、

黒に統一されたスタイリッシュないでたちで若者の心をわしづかみにしてしまった

クールスについて独自な観点から記事としてお届けしております。

今回は舘ひろしをリーダーにしてCOOLSでデビューすることになった

「デビュー前のクールス」というテーマでお届けします。

この記事を最後まで見ることで、COOLSがデビューするにあたり知りえなかった

真実が分かり、舘ひろし、岩城滉一、プロデューサー上田の存在が分かると思います。

喫茶店スプレンドールで岩城滉一が舘ひろしの代わりに上田に馬乗りになって

何度も殴ったことは、限りなく警察沙汰になることだったのです。

彼らに一体、どんなことが起こったというのでしょうか?

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【ついに明かされる】COOLSデビューはこうして実現された!

 

当時のクールスのメンバーはよくスプレンドールに集まっていた。

そこに出入りをしていたのが芸能プロデューサーの上田だった。

上田はスプレンドールの上の3階に住居を構えていた関係でよくスプレンドールに

足を運んでいたというわけだ。

そして、舘ひろしと会話を交わす仲になっていく。

当時の舘ひろしは大学生であり、GRASSというブティックでバイトをしながら

クールスのリーダーをしていたのである。

当時から舘ひろしは女性に人気があり、舘ひろしの追っかけをしていた女性には

のちに芸能界で人気者になった研ナオコがおり、一世風靡をしたモデルの山口小夜子

もいました。そんな、舘ひろしでしたが日本女性には全然、興味を示さず

もっぱら外人に興味があったようです。

舘ひろしの周りにはいつも外人の女性がいて、連れて歩いていたというのです。

このころから、上田は舘ひろしの「芸能人としての可能性」を感じていました。

上田は今までの芸能人生を「こいつに全部、賭けても良い」というくらい舘ひろしという

漢を買っていたのです。

しかし、舘ひろしは上田の誘いに全然、振り向いてくれませんでした。

やがて、「このままでは舘ひろしを芸能界デビューさせられない」と考えた上田は

舘を呼び出し、ある雑誌を見せるのでした。

その雑誌にはキャロルが特集で取り上げられており、写真の一部にクールスのメンバーが

映っていました。その雑誌を見せながら、上田が言ったのです。

「な~お前らは何がしたいんだ!?キャロルるの親衛隊だって?ちゃんちゃら
おかしい」と、吐き捨てたのです。

舘ひろしは自分の気持ちを抑えながら「俺たちはローリングストーンを護衛したヘルズエンジェルスと同じなんだよ」

「ヘルズエンジェルスがローリングストーンズをプロデュースしたように俺たちはキャロルをプロデュースしたんだよ」

上田が続けました。

「へ~何を、キャロルの何をプロデュースしたっていうんだよ。」

「キャロルに一体どんな影響を与えているというんだよ。説明してみろよ」

「さぁ~言ってみろよ。言えないだろう。お前たちはただの腰ぎんちゃくなんだよ」
と。

見る見るうちに舘ひろしの顔が真っ赤になっていく。メンバーが心配していたその時

岩城滉一が「この野郎!お前に何が分かるっていうだよ!!」と、舘の肩越しから

上田に向かって突進していった。そして、右ストレートが上田の顎を捉えた。

たまらず上田が倒れこむ。岩城は間髪を入れずに上田にのしかかっていき馬乗りになっていた。

馬乗りのまま、岩城を鉄拳を上田に何発も食らわせたのだった。

後ろから舘が岩城を羽交い絞めにして事なきを得たのであった。

スプレンドールでのこの騒ぎに警察沙汰にならなかったのか?不思議なくらいである。

これは上田が抑えたのに違いない。なぜなら、どうしても舘ひろしという漢を芸能界に

デビューさせたかったからに違いないからである。

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舘ひろし芸能界デビューには壮絶なやり取りがあった

 

こんなことがあってからというもの、舘と上田との距離は少し縮まっていたようである。

ある時、10代の白人女性を連れて上田の前に現れた舘ひろし。

おもむろに「この娘を芸能界デビューさせてくれないか」と頼んできたのである。

余りにも唐突な依頼だったのでためらった上田であったが「わかった。後で連絡する」

言ってから条件に「ひろし、お前もデビューを考えろ」と言ったのだった。

舘ひろしの答えは「上田さん、あんたがそんなに本気に俺たちのことを考えるているか
試してやる。そして、メンバー全員があんたを認めたらデビューしてもいいよ」だった。

クールスのメンバーが運転するバイクの後ろに乗って

原宿の明治通りにある日産自動車のショウウィンドウの前から246に出て

青山3丁目のベルコモンズを曲がって明治通りに出てまた戻ってくる。というものだった。

上田は大した距離ではないし、こんな条件なら簡単だと、一つ返事をしたのだった。

翌日の深夜12時ころ、上田とクールスのメンバ29人が日産のショウウィンドウの前に集合。

舘ひろしが一人の若いメンバーを呼び寄せたのです。耳打ちをして「わかりました」

返事をしたメンバーは上田の方に駆け寄り、「上田さん、俺のバイクの後ろに乗ってください」と。

上田は言われるままにナナ・ハンのバイクに乗り込んだのです。

そして、「上田さん、俺を信じて話を聞いてください。これからリーダーに言われた

通りのコースを突っ走ります。時速は160キロは出ると思います。後ろに座っていると

もっと200キロくらいに感じるかもしれません。

リーダーからの命令ですから俺は命懸けで走ります。でも、俺は死にたくありません。

上田さんと俺は運命共同体です。とっちがこけても命はないものだと思ってください。

だから、これから先は俺の言ったことを忠実に守ってください。頼みます。

俺が左に傾いたら一緒に傾いてください。右になったら右へ。

怖いからと言って、反対に重心をかけてしまうとバイクは間違いなく転倒します。

そうなったら死が待っているだけですから。いいですね。

俺にしがみついて俺の行動と同じようにしてくださいね。」

バイクのエンジンがかかります。耳をつんざく爆音が鳴り響き、次の瞬間

上田を乗せたナナハンは猛スピードで飛び出して行ったのである。

そのあとを舘ひろしを先頭とするクールスの軍団が追っかけて行ったのである。

左に傾いたバイクは今にも膝アスファルトにくっつくくらいに傾いて

車と車の間をすり抜けて、何台も追い越していったのです。

上田を乗せたナナハンはフルスロットルで夜の街を突っ走ったのでした。

上田は恐怖のあまり、声が出ずしがみついているだけだったのです。

あっという間にナナハンは

車輪の外れたジェットコースターのごとく元の日産自動車の前に帰ってきたのです。

上田はバイクから降りたとたん崩れ落ちてしまいました。

背中から尻にまで小便を漏らしたかのようにびっしょりだったのです。

上田に近寄った舘ひろしが思いっきり上田の背中を「バシっ!!」とたたきました。

上田を囲んでいたクールスのメンバーは笑い出したのでした。

これがクールスのメンバー全員が認めた合図になったのでした。

この条件をクリヤーしたので、あえてデビューとなったわけです。

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