横山剣クールスを語る「あわや黒歴史!」 エピソードとは!

クールス
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この記事ではクレイジーケンバンドの社長として、ボーカルとして活躍されている

横山剣さんがクールス時代を振り返り書いた手記をもとにしております。とんでもないことに巻き込まれていく横山さんの心境を生々しくとらえた面白い記事になっています。

クールスのエピソードやクールスについて知りたい方には面白いと思いますよ。
ぜひ、最後まで読んで楽しんでください。

 

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クールス元メンバー横山剣が語る「あわや黒歴史!」 エピソード

 

俺は当時からクールスにあこがれを抱いていた。なぜなら、山手線界隈の

京浜工業地帯の匂いがするキャロルと違い、他の追従を許さない洗練された

スタイリッシュなファッション。本当にあこがれていた。

そんな中、大学もろくろく行かず

秀光さんの経営するチョッパーに頻繁に出入りをするようになっていた。

そんなある日、秀光さんから「おい、剣 おまえさ大学なんか行かずに俺たちの手伝いや

ってくれないか」ってお誘いをもらったんだ。

「考えさせてください」というものの、半ば強引に手伝いをすることになっていた。

いわゆる「ボーイ」そう「バンドボーイ」のことだ。

グループの遠征に一緒に同行し、全国をまわる。主な仕事はグループが使う機材運びだ。

そのほかに、メンバーの身の回りのお世話など種々雑多なことまでやっていた。

ボーイをすることどれくらいたったのだろうか、あまり覚えがない。

仕事の段取りとか、出演交渉までやることになっていた。そう、マネージャーのこと。

そんなある日のこと、リーダー秀光さんからMさんを紹介されたのだった。

ハコスカに乗りたかった夢が実現に!?

一見して、「そっち系」の人だとわかる人だった。

俺は秀光さんとMさんとの関係を知らない。いや、知らなくてよいのだと思っていた。

なぜなら、俺は今クールスのマネージャーとしての仕事を精一杯こなしていればそれでい

いと思っていたから。

俺にとっての全国周りは、楽しくもあり大変でもあった。

でも俺は俺なりに充実はしていた。

そんなおり、Mさんがやってきて「おい横山、お前、スカG探しているんだって」と

おもむろに言ってきた。「ええ、今も探しています」とこたえたら、

「そうか、俺の知り合いでスカGを売ってもいいっていうやつがいるんだよ」

すかさず「何年もんですか?色は何ですか?走行距離は?ハコスカですか?・・・」

まくし立ててしまっていた。

Mさんは「そんなの知らねえよ。ただハコスカで5万円でいいっていうんだ」と。

「え!たったの5万ですか!!」飛び上がりたい衝動が全身を貫いた。

なぜなら、俺は俺はハコスカが欲しくてほしくてたまらなかったからだ。

Mさんは秀光さんの知り合いでもあり、岩城さんの知り合いでもあった。

そのことがちょっと頭によぎる。。。「果たして大丈夫なのか?」と。

でも俺は衝動に負けてしまっていたんだと思う。

茨城に向かう俺とMさんを待ち構えていたのは?

Mさんを連れ立って上野に、そして常磐線で茨城に向かっていた。

電車に揺られながらMさんとたわいもない話に談笑しながら俺の気持ちは

ハコスカ一色だった。

「けど、本当にスカG それもハコスカがたったの5万円!?」と頭をよぎる。

「でも、Mさんがまがい物の情報を持ってくるはずがない」などと

気持ちが行ったり来たり。そんな俺の気持ちを思ってなのか

「おい、横山、何を考えているんだ、とりあえずハコスカを見てから考えろ」と。

俺には現地に着くまでの2時間、本当に本当に長く感じたのだった。

やっとの思いで、現地に到着。

我先にと展示されている車を次から次へと見て回る。「無い、ないじゃないですか」と。

「横山、慌てるんじゃねえ! お前の前にあるやつだよ。どこ見てるんだ!」とMさん。

「え!?これスカGじゃないっすよ」といった。

すると「バカヤロー!目をかっぽじってよく見やがれ」と。

俺はMさんに向かって怒鳴っていた。

「こ、こ、これ本当にGTですか?」

すると・・・「GTじゃないけどGL」「はあ・・・!?※〒♪♂¥」

俺は全身から力が抜け落ちていくのを感じた。

しかし、善意でここまで案内してくれたMさんを非難はできない。

確かにハコスカのGLでもハコGに違いない。でもでも・・・

しかし、俺は真摯に店主にお断りの意を表明。

「スカGが出たら連絡をください」と言い残し現場を後に。

横山剣の夢が現実にしかしそこに待っていたものとは

 


そんな茶番劇があったあとどれくらいたったことだろう。

昔からよく言われる「捨てる神あれば拾う神あり」で、今度は違うルートで

ハコスカGTの話があったのだ。今度は神奈川県だった。

Mさんとの茶番劇があったあと数年たっていた。

その頃はどうしてそんなにハコスカが人気があったんだろう。

はやりハコスカのあの「渋さ」にあこがれが集中していたのか?

なかなかハコスカが出てこなかった。

俺は神奈川の大和まで吹っ飛んで行った。

色が気に食わなかったけど、即買い。

色は全塗装をした。黒だ。

今では黒が流行っているけど、当時の黒というのはどうだったんだろう?

やはり、「クールスのイメージが黒だからか?」と自分なりには納得していた。

そして、車内には当時人気があったKen-woodのカーステレオを高かったけど装備。

しかし・・・

このお気に入りの愛車にとんでもないことが起ころうとは思っていなかった。

全塗装が終わり、お気に入りのカーステレオまで入れた愛車

黒のハコスカの納車日だった。

この日、クールスのメンバーは全国公演のリハーサルで

六本木にいたのだった。

俺は愛車に乗り、うきうき気分で六本木のリハーサル会場へ。

なんでそんなことになったのかは覚えていないのだが、ジェームスさんを

送っていくことになってしまったのだった。

リハ会場から出た俺たちは車に向かい、「あれ、横山いい車買ったじゃん」

「俺にも運転させてよ」って、いいも悪いも言わないうちに

ジェームスさんは車を出していた。

首都高を経由して高速道路へと向かうジェームスさん。

「うぉー、この車スピード出るね~」とアクセル全開。

みるみる150キロ、160キロ、170キロ、180キロ」

メーターを振り切っているじゃないか!

「ジェームスさん、止めて~~~~」

ジェームスさんが無免許だったことに気づく俺だった。

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