僕のブログでは今や芸能界で立派にやっている劇作家であり脚本家の遠藤夏輝さんの若かりし頃のクールスとの関わり合いを追っかけて記事としてお届けしております。
今回お届けするのは遠藤さんがツッパッテいた頃の遊びとファッションについて遠藤さんの書き記した著書「不良少年伝説」の中からお届けします。
この記事を見ることで当時の遠藤夏輝さんの若い頃の様子が分かると共にその時代にはやっていた洋楽が分かるようになります。
遠藤さんの体験した青春時代を聞きながらあなたの思い出を思い出してみてください。
古き良き時代の昭和が一瞬で蘇ってくると思いますよ。
それでは早速本編に入って行きましょう。
遠藤夏輝のツッパリはディスコ通いとファッションの最先端
練馬の中学校から相模大野に転向し、高校3年間を相模大野で過ごした俺は1年生のころからディスコにハマって行った。
小田急線の鶴間って言うところに「シルバー・スワン」というディスコがあって土曜日の夜になると先輩といつも通っていた。
近くに米軍基地があったことからきている客はほとんどが黒人で踊りと言ったらソウルそのもの。かかる曲は最先端の曲ばかり。
「シルバー・スワン」は東京でも有名で都内でディスコで働いている者やディスコフリークを自称しているものは挙って踊りを盗みに通っていた程だった。
アフロヘアの黒人が躍っている姿は特別で彼らの踊りをマスターしようと必死になっていた。なんで?っていうと・・・
それは当たり前だけど、踊りが決まっていれば女の子がついて来るから。
躍起になって俺は踊っていた。
黒人と一列になって同じステップを踏んでいた。
俺をいつもディスコに誘っていた先輩はステップをマスターして女を何人仕留めたことか?
「おい、遠藤、今日も踊りに行くぞ!」と繰り出していた。
勝負服は玉虫色のコンポらスーツだったのを覚えている。
俺達は最先端のファッションを着込んでいたが、中にはボンタンを履いた連中も居た。
でも、ボンタン組は女の子から避けられていた気がする。
当時はやっていた曲はいろいろあったけど・・・今思いだせるのは次の曲だよな~
ジェームス・ブラウンのアイ・ガット・ユー
コモドアーズのマシンガン
スティービーワンダーの迷信
スリーディグリーズの天使のささやきなどなど
付き合っていた女の子のお気に入りの曲で楽し気に踊っている光景が蘇ってくる。
シュープリームスのストップ・インザネームオブラブ
渋いところではテンプテーションズのパパ・ワズ・ア・ローリングストーン などなど
上げたらきりがない。でも、憶えているだけでも当時の曲が全身を貫く。
ディープパープルのブラック・ナイト
オージェイスの裏切り者のテーマなどでは数人で並んで同じステップを踏んでいた。
踊りを見ている女の子の前でカッコ良さを見せつける。
あ~なんて良かった時代なんだろう、ただ女の子を落とすことだけ考えていた。
曲と曲との間に入ってくるチークタイム。
スローな曲に女の子と体が密に絡み合い、チャンス到来。
媚薬な甘い言葉を女の子の耳元でささやく。女の子の何ともいい匂いが鼻孔を貫く。
しっとりとした時間の中、「今日はこの女とホテルに行けるかも」等と妄想にふけったものだ。
チークタイムではプロコル・ハルムの青い影などがかかっていたな~
そうそう、忘れてならないのはつのだひろのメリージェーン。
思いだすがけで当時の俺にタイムスリップが出来てしまう。
眼を瞑れば楽曲が聞こえてくるほか、ほのかに香る女の子の髪の毛の匂いなども感じるほどだ。
アー若かりし良き時代。あの時はもう戻らないのだろうか。。。
日曜日にはいつもたむろしていた5~6にんで新宿のホコ天に繰り出していた。
もちろん目的はナンパと喧嘩だったのだが・・・
ファッションはボンタンに革ジャンもしくはあつらえたチャイナ服に玉虫色のスリム。
ホコ天でたむろし女の子をナンパしていた。ナンパに成功すれば新宿のディスコでフィーバー。そして意気投合すればお持ち帰りの日々だった。
ディスコに明け暮れ、女の子を尻を追っかける日々だったが、不良の真骨頂ともいえる青春時代だった。
そうそう、クールスの大久保喜市もディスコ通いをしていたメンバーだったけど同じようなものだ。
そんなわけで世の中でディスコが流行りだす以前にシルバースワンというディスコの発信基地に行っていた俺はその後は落ち着いてきてディスコからは脚が遠のいていった。
俺は最先端をいつも行っていたというわけだ。
不良が全部とは言わないけれど、ファッションでも遊びでもなんでも最先端を行っているというのは事実のようだ。
ということで今回は失礼します。
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