クールスの舎弟になった遠藤夏輝の若い頃「一歩間違えれば警察沙汰」

クールス
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はいこんにちはおーちゃんです。

ご拝読いただきありがとうございます。

僕のブログではクールスの舎弟として親衛隊を務めたバッドエンジェルスの総長として指揮を執っていた遠藤夏輝さんの青春時代を取り上げお届けしております。

遠藤夏輝さんの青春時代と言えば東京工業高校で3000人の不良どもをまとめ上げていた総番長として君臨し、先生の頼みからなんと風紀委員長までやっていたという数奇な人生を送っていた御仁。

今回お届けするのは遠藤夏輝さんの高校生の時の修学旅行の話です。

東は国士館西は北陽と言われるほどの超ド級の西の愚連隊高校北陽高校とのあわや乱闘という瀬戸際のお話です。

修学旅行と言えば一生に一度の一大イベント、あなたも思い出があるのではないでしょうか?
東京工業高校の総番長として遠藤夏輝を待っていた修学旅行はどんなものだったのでしょうか?
この記事を見ることで遠藤夏輝さんの修学旅行がどんなものだったのかが分かると共に

あなたの修学旅行が思い出されると思いますよ。

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東京工業高校・遠藤夏輝の修学旅行とは

俺達の修学旅行は当時定番だった九州旅行だった。

東工は生徒数が多かったので2回に分けて行っていた。

電気科と建築科とが合同。そして機械科は生徒数が多かったことから単独だった。

旅行の前には担任から色々と注意事項が言い渡されていた。

その上、生活指導の先生からは「絶対に喧嘩はするなよ」と厳しく念を押されていた。

言われている時は「仰せの通り」なんて振りをしているがその場になったら分からない。

だから先生たちは口が酸っぱくなるほど言っていたのだ。

先生からの言葉が成果を出したのだろうか、大分や福岡では平穏無事に日程を消化していた。バスガイドのお姉さんも綺麗なうえ気さくで本当にラッキーだった。

ガイドの説明を聞きながら「ここが宮崎の日南海岸か」などと、浮かれるほどだった。

しかし、俺達ツッパリはいまいち刺激が無いのでそこかしこに居るツッパリが気になってしょうがなかった。

北洋高校との衝突は避けられたのか?

「北洋高校だ!」などと生活指導の先生に緊張が走る。

「いいか、お前ら、絶対喧嘩なんかすんなよ」と口を真一文字に結んだ。

大阪の北陽高校と言えば東京にまでその名を轟かせていたツッパリの有名高校だ。

東の国士館、西の北陽と呼ばれるように世間に知られていたのだった。

北陽の連中は生徒のほとんどがリーゼントに中ランにボンタンと決っていて流石だなっと思えるほどだった。

南国らしいフェニックスが植えてある公園を石川や柏木達数人で歩いていると

前方から歩いてくる一団があった。さっきの北陽の連中の残骸だった。

鋭いガンを飛ばしてくるが俺達東工の一団も負けじとガンを飛ばし返す。

お互いがお互いの力量を探るけん制だけに終わった。

北陽の連中は気にはなっていたが俺は石川と柏木とフェニックスを背景に写真を撮っていた。
するとツッパリの仲間の一人が血相を変えて吹っ飛んできた。

「遠藤、ヤバいぜ。北陽の連中とやりそうだ」と。

「北陽の連中はどこだ!案内しろ!」とギアが入った。

現場に行くと30人くらいの団体がにらみ合い、対峙していた。

俺は居並ぶ仲間の間をすり抜けど真ん中に立ち、北陽の中央に位置している番長らしき野郎に鋭い視線を投げつけた。

ここに東西のツッパリの決闘、日南海岸の決闘が今幕を開けようとしていた。

お互いにじりじり近寄りながら「お前らどこの奴や!?」と。

北陽の番長らしき奴が啖呵を切ってきた。

俺は腹の底から「テメーらこそどこだ!」

北陽だとは言っていたが先に名乗るのが順当だろうと思っていた。

「なんやワレ~!ワシらは大阪の北陽高校や、文句あったらかかってこんかい!」

独特な関西弁の言い回しに俺は完全に切れた。

「上等じゃねえか、東京工業だ!」

拳に力が入り、思いっきり全身が硬直。

戦闘態勢に入った瞬間だった。

「コラあ~!お前たち何やってんだ!」と担任と生活指導が吹っ飛んできた。

東工の先生たちだけでは無かった。

北陽の先生とみられる数人も飛んできて北陽の連中に向かった「お前達、退学になりたいのか!手を出したらただじゃおかんぞ」と。

「遠藤止めろ!こんなところで喧嘩なんぞしてどうすんだ。皆を散会させるんだ」と。

一度、全身を駆け抜けてしまった喧嘩ドーパミン。直ぐには収まらないのは当たり前。

「あいつら次第だ!」と思っていた。

北陽の連中も俺たちと同じで、一向に引き下がろうとはしていなかった。

ガタイの良い先生らしき男が北陽の生徒を叩き始め、少しづつであったが北陽が散会し始めて行った。

北陽が散会していくのを見て俺は総番長としてまた、風紀委員長として散会を告げたのであった。

俺の隣の石川と柏木は頭に血が上っていたのかまだ顔が硬直していた。

俺は二人に声を掛け、何事も無かったようにその場を離れた。

ということで今回はこの辺で失礼します。

いかがでしたか?

修学旅行の思い出、あなたも当時のことが蘇ってきたのではないでしょうか?

それにしてもですね~

遠藤夏輝さんの場合はツッパリのプライドとプライドとのぶつかり合いという感じだったんでしょうね。

しかし、あのまま喧嘩になっていたらどうなったんでしょうか?

北陽高校の先生が言っていた「お前ら退学になりたいのか」と言うように東工でも退学処分になったのかもしれませんね。

 

 

 

 

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