【クールス・COOLS】 郷田雅之とハレーダビッドソンとの関係と佐藤秀光との2つの共通点とは

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クールス
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僕のブログでは今から約半世紀近い前のクールスと言うバイクチームのお話を

記事を通じてお話しております。

バイクチームクールスについての記事と言えば昔懐かし写真だけだったり、

クールスが後にバンドとしてもデビューすることになったCOOLSの楽曲紹介だったりと

出てくる記事と言えばお決まりの記事ばっかりでした。

クールスがどんなことをやったとか、クールスに起きた出来事を取り上げた記事は

ほとんどないというのが実情だったのです。

さて、今回取り上げるこの記事ではバイクチームクールス結成当時20歳だった

郷田雅之さんについてのものになります。

この記事を見ることで郷田さんがどんな人物だったのかが分かると共にハーレーダビッドソンとの関係が分かるようになるはずです。

なので時間が許す限り見ていただければなと思います。

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郷田雅之とハーレーダビッドソンとの出会い

 

郷田雅之さんはクールスの中ではハーレーという愛称で呼ばれていました。

このニックネームが付いたのはご存知の方がいるかと思いますが、根っからのハーレー好きという理由からでした。

なんと、中学二年生の15歳の時に新聞配達をしてためたお金でハーレーダビッドソンのWLを10万円で買ったというのです。

クールス結成当時20歳だった郷田さんが15歳の時に買ったWLは1942年製のものでした。

1955年生まれの郷田さんが15歳の時というと、1970年のこと。

1970年時点で1942年式のハーレーと言うと28年前のハーレーということです。

そして、その愛車をクールス結成当時まだ乗っていたのです。

それだけではありません、郷田さんはいまだにその当時乗っていたハーレーダビッドソンのWLを捨てずにとってあるというのです。

ここまで聞くと「郷田雅之さんってどんな人なんだろう? 」と興味がわいたのではありませんか?

それでは本題の入って行きましょう。

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クールス郷田雅之の渡米に隠された意味とは

 

「郷田、今度バンドを組むことになった。お前確かギター弾けたよな?」と舘ひろし。

「はい、学生時代にバンドをやっていたことがあったんで。。。」

「ボス、その件ちょっと考えさせてください」と郷田。

こんなやり取りがあったかどうかは別にして郷田雅之さんはクールスリーダーだった

舘ひろしさんのオファーを断っているのは事実なのです。

クールスがデビューすることになった1975年と言えば激動の年と言われている年。

フォークソング、ロックンロール、アイドルの出現などなど

音楽業界、芸能界が何かと騒がしくなりだした年だったのです。

そんな最中、キャロルが解散した後というドンピシャタイミングでデビューを果たすことになった舘ひろし率いるバンドCOOLS。

当時のメンバーと言えばジェームス藤木だけが音楽経験者というメンツで後は全然音楽とは無関係というメンバーでした。

だから、学生時代にR&Rを手掛けていた郷田にオファーするのは当たり前と言えば当たり前。この時舘ひろしは快く郷田が引き受けてくれると思っていたはずです。

しかし、この舘ひろしの申し入れに対して郷田雅之は断ったのです。

どうしてだと思いますか?

そこには大きな理由があったのです。

それはアメリカにあるハーレー本社に訪れることになっていたからでした。

以前から郷田さんはハーレー本社に手紙を出していたそうです。

出しても出しても返事など来るはずはありません。

しかし、郷田さんはあきらめず出し続けていたそうです。

そして、とうとう郷田さんの願いが届いたのです。

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郷田雅之の夢がかなった本社見学フリーパス券とは

 

当時のジェネラルマネージャーから返事が来たのでした。

その内容は「一度、本社を訪ねてきなさい」というものでした。

郷田雅之さんは後のインタビューで語っていましたが、「天にも昇る心地だった」と。

叔父さんの影響でハレーに傾倒した郷田少年は15歳でハーレーを手にして

ハーレーの魅力に取りつかれ、以来「ハーレー本社で働きたい」という生きがいを持ったのでした。
その生きがいが、20歳となった郷田雅之に一歩を踏み出させようとしていたのです。

「ボス、すいません。僕はアメリカに行きます。だからバンドはできないのです」と郷田。

「そうか、お前の夢が実現するんだ。こっちはいいからアメリカに行ってこい」と舘ひろし。

こんな会話が交わされたかどうかは分かりませんが、僕が想像するのにはこんなところでしょう。
バンドCOOLSは1975年9月21日にデビューしました。

キングレコードの佐々木寛の執拗な営業に負けた形になり、舘ひろしが決意をします。

当時としてはバイクチームからバンドデビューするなどという前代未聞の試みだったのです。

1975年6月の上旬にキングレコードと契約をし、バンドの練習を始めたのがその後だったことから郷田さんが渡米するのとぶつかってしまったというわけです。

渡米を果たしが郷田さんですが、ハーレー本社のたどり着くまでに苦難が待っていました。

何とかハーレー本社にたどり着いた郷田さんを待っていたのは「本社工場の見学フリーパス券」だったのです。

見られるところはどんなものでも見学をさせてもらったようです。

何せ1か月間という長期滞在になったというのですから。

当時のハーレー本社の規定では「外国人の就労枠無し」という理由から就職はできませんでした。
しかし、郷田さんにとってはかけがえのない本社工場見学だったようです。

そして、その郷田さんは今、MOTORCYCLE GODAを経営されている。

東京から小一時間のところのちょっと山深いところに店を構えているという。

今はやりのSNSなど一切やらない郷田さん。

知る人ぞ知る人が郷田さんの匠の腕を信じて仕事を依頼し、また満足したお客さんが

知人を紹介するという口コミで成り立っているという。

郷田雅之というハーレーに魅了された男は今日もその手腕を振るっている。

ちなみに MOTORCYCLE GODAには電話とファックスしかないと言いう。

ということで今回はクールスのメンバー郷田雅之さんについてお届けしました。

新聞配達を少年の頃やっていたというのはクールス現リーダー佐藤秀光さんと同じですね。

そして、ハーレーを買ったというのも佐藤秀光さんと同じですね。

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