この記事では岩城滉一、舘ひろしに続いてクールス脱退後に映画界にデビュー
勝 新太郎に認められかわいがられていたピッピこと水口晴幸さんについて
クールス40周年の時にRoll overというロックグループを結成した記念に
独占インタビューが行われた。その時の模様をぼくの意見も取り入れながら
お届けしていきます。
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クールスメンバーピッピこと水口晴幸「絆がすべてなんだよ」とは!
俺はクールス時代からそうだったんだけど、子供みたいなところがあってさ、からまれたりするとほっとけないんだよ。
よくクールス時代には革ジャン着て街を歩いてると、俺たちは何もしてないのに
そっち系の人たちからいきなりからんでくるんだよ。
ほっと置けばいいのに、こっちも「なんだコラァ!」ってなっちゃう。そんな俺を大将はいつもひやひやしていたらしい。
勝のオヤジとの間にも同じようなことがあって、六本木のアマンドの前でぶっ飛ばされたこともあったな~
「もし、オヤジが絡まれるようなことがあったら、俺が命懸けでまもるから」って言ったらすごく怒られてさ。
「お前の性格が良いのが分かっているから、付き合ってるけどよ。バカ! お前のことを守んなきゃいけないのは俺の方なんだよ」って。喧嘩早い俺をいつも気遣っていてくれた。
当時の俺はさ、森の石松みたいなところがあって、親分の清水次郎長の言うことは絶対、
みたいなさ。
みんなでバイクで走ってる時も気がついたら俺だけ突っ走っていて、みんなを置いていくなんてことがしばしば。
それが今でも続いていて、いまだに大人になりきれないんだよね。
バイク乗りの後輩からも「もういい加減、落ち着きませんか?」って言われるけど、
俺にはその落ち着くって感覚自体がよくわからないんだよ。
このままずっと突っ走っていたいからね。
そんな性格だからさ・・・人を信じすぎちゃってさ。
仲間に裏切られた時のショックは人一倍大きい。
やっぱりね、裏切られるのはキツいよ
東京に出てきてからさんざんそんな思いをしてきたからね。
それも血判を交わした仲間に裏切られる寂しさなんてさ、もうたまったもんじゃないよ。
それでも俺は俺らしく生きてきた。そんな俺をいつも支えてくれたのが
東北連合3代目の鈴木さ。奴は俺を俺は奴をっていう感じかな。
その結果としていまがある。
俺を気に入ってくれている奴には心底付き合う
たとえば通称、イクラそう井倉光一なんだが、いまだに
「ピッピさんと岩城(滉一)さんの前にでると固まっちゃうんですよ」なんていまだに言われるし
俺が『NEW YORK CITY, N.Y.』のジャケットを着ていて、それが気に入ったのかどうかは知らんけどSchottに入ったっていうやつもいた。
あるファンはオハイオでハーレーの勉強を26年間してきたらしい。それがどうしてできたかというと『BLACK or WHITE』だと言ってくれる。こんなこと言ってくれると、こっちが逆に感動しちゃうんだよ。
癌を患って余命いくばくもない夫婦がいた。嫁を気遣ってあかれようとしたときにクールスのバラード、追憶がかかってきて二人で大泣きしたという。これがきっかけで分かれなかったという。
こんなことを聞くとこっちまで泣けてくる。
いまは幸せに暮らしてるって聞いて、それも感動したね。
「追憶」なんて、俺はただ自分のフラれた経験を書いただけなんだけど、
みんな自分の人生に置き換えて聴いてくれているんだよ。
人間生きてりゃ、いろいろと大変なことがいっぱいある。
生死をさまよう大病を患う人もいれば、借金地獄から逃れられなくなって自分の命を自分で立つ人もいる。でも、自殺する間際にたまたま聞いた曲が俺の曲だったなんて、最高だよ。
JAPAN NAVYっていうハーレーのクラブチームのアタマをやってた藤原っていうのがいた。
そいつはガタイのいい奴だったけど、余命宣告されちゃってさ。だから、和歌山でライブをやってやったんだよ。車いすで見ていた藤原が立ち上がって見ていた。
ROLL OVERSの歌がそんなによかったのかな~と思ったほど。
ライブが終わってあと、藤原に「お前、絶対また来いよ」って言たんだ。
そしたら、藤原が「はい、分かりました。約束です」ってニコニコしてた。
でも、それからすぐに逝っちゃった。すごいショックだった。
その後に藤原の女房からメールが来て、藤原は死ぬまで「ワン・デイ」と
「追憶」を唄っていました。うれしくってうれしくってさ。
なんで俺の人生はいつも空回り。。。
不器用があだになったせいで、クールスの場合は俺が自分でケツまくっちゃったしな。
あのころのCOOLSは俺の考えるCOOLS像とあまりにも違いすぎた。
俺はコマーシャルに走る音楽なんてどうでも良かったんだよ。
あの時、誓い合って血判したなかま、17人がこの世にいる。それだけでいいんだよ。
俺にとって仲間との絆が一番大事なんだよ。
ちょっと、ボタンの掛け違いがあったけどな。俺の戦い方はいつも一対一。
だけど、大将は違う。
大将はラグビーをやってたから団体競技の発想なんだよ。
クールスのメンバーをなぜ多くても20人までにしたのかって言うと、
大将が高校の時にラグビーのキャプテンをやっていたからさ。
目が届くのが20人くらいが限度だったからなんだよ。
でも俺はそういう発想じゃなく、闘う時はいつも一対一。
クールスの頃、大将に言われたことがあるんだ。
「俺がなんでお前のことを信じられるか分かるか?」って。
「分かんない」って答えたら、「お前だけだよ。誓約書に血判を押すのを最後まで悩んでたのは」って。
だって、「このチームは団長による完全独裁制である」って
最初に書いてあるんだからさ。
ことの大切さをだれよりも深く考えて血判をしたのはお前だけなんだよ。
血判を押した以上、舘がずっと自分のボスになるんだよ。
俺は意を決して血判を押したし、ボスの言うことは絶対。
その関係は40年以上経ったいまも変わらない。
電話で呼ばれたらすぐに行かなきゃいけないしな。
ジョー(山中)さんや(安岡)力也の葬式の時も
「一緒に行こうよ」って呼び出されたんだから。
80歳になってもこの関係は変わらないだろうね。
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