クールスメンバー舘、岩城、水口のそれぞれのオヤジは師匠だったとは?

クールス
スポンサーリンク

今回お届けするのはクールスのメンバーの中で特別異彩を放っていた3人を取り上げます。
こ記事事を見ることで「あ~そうだよな。そんな見方もあるよな~」と3人の共通点が分かってもらえると思います。

なので、往年のクールスのファンはもちろんのこと最近クールスに興味があるんだよねと言うあなたにもぜひ見てもらいたい記事となっていると思いますよ。

スポンサーリンク

クールスと言えばこの3人のメンバー

 

今回登場していただくクールスメンバーと言うのはクールスメンバーの中で情に熱く自分のことはさておき「え!そこまでしてやるの」と驚きを隠せないぐらい突っ込んで人を助けてしまう漢の中の漢、水口晴幸さん、そうピッピさん。

次はクールスが幾度となく潰される危機に直面するもこの人のネームバリューと人脈の凄さからクールスを救ってきた陰のドン。岩城滉一そう滉ちゃん。

そして、最後に控えしは持って生まれたスター性と祖父、そして父親と生粋のイギリス通という家庭で育ったハイソサイアティに培われたハイセンスを武器にクールスと言うバイクチームを今までにないスターダムへとのし上げた舘ひろし、そうボスである。

この3人に共通してあるもの。そして他のクールスメンバーにはないものとはいったい何だろう?

その答えを導き出してくれるものは「映画」である。

舘ひろしさん、岩城滉一さん、水口晴幸さんはいずれも映画に出演して自分の進むべき道を切り開いて行ったのである。

クールスの他のメンバーでも映画には出演するも自分の道を切り開いていったとは言えない。
それはいったいなぜなんだろうか?

それは師と仰ぐ恩師に出会えて居ないということである。

一方、舘ひろしさんは渡哲也さん。岩城滉一さんは安藤昇さん。水口晴幸さんは勝新太郎さんと生涯、オヤジと呼べる師との出会いを果たしているということだ。

舘ひろしさんと渡哲也さんとの出会いは西部警察の共演からであった

自分みたいな青二才に対してもわけ隔たりなく紳士的な対応をしてくれた渡哲也という人間にほれ込み「この人に付いて行こう」と俳優の先輩として、人生の師として心酔して行った舘ひろしさん。

石原軍団に入社した後は石原裕次郎さんが社長というのに「俺は石原さんではなく渡さんの背中しか見えない」などと気持ちは渡一筋であった。

石原裕次郎が亡きあとは渡哲也の右腕として石原プロの屋台骨の一角となり、東北大震災での炊き出しなど社会的貢献にも熱心に務めたのである。

体調を崩し天国に召された渡哲也の遺志を継ぎ、舘プロを立ち上げ「大それたことはできないけど石原裕次郎、そして渡哲也が成し遂げられなかった映画を作ってみたい」と言っている。

岩城滉一さんと安藤昇さんとの出会いは岩城さんが中学生時代

岩城さんが出入りをしていた安藤組はすでにヤクザ組織の東興業ではなく安藤企画という芸能事務所の時代だったようだ。

若い岩城滉一の才能を見込んだ安藤昇は岩城が映画に出る進むべき道を用意していた。

「うちに若いので素質のある奴が居る。岩城という若い衆を使ってくれ」などと「ツルの一声」を東映やら脚本家に向けて発信。

ずば抜けた力は映画界までも席巻して行ったのである。

安藤昇の気持ちとは裏腹に岩城滉一の素行はすこぶる悪く、ついには覚せい剤取り締まり法違反で警察にパクられてしまう。

ギリギリのところで、執行猶予判決を勝ち取り警察での身柄拘束から解放された岩城滉一は記者に囲まれ「今の気持ちを一言?」とコメントを求められると
「シャブをやってないが悪い!」と悪ぶって見せた。

岩城が放ったこの一言が世間の反感を買い、岩城の復帰は危ぶまれることになった。

しかし、こんな素行の悪い岩城滉一を安藤昇は見捨ててはいなかったのである。

またまた、安藤昇のツルの一声が脚本家の倉本聰に飛ぶのであった。

そして、岩城滉一は生涯忘れることができない一生の仕事「北の国から」との出会いを果たすのである。

水口晴幸ピッピと勝新太郎との出会いは?

そして最後に登場してもらうのは水口晴幸ピッピさんだ。

ピッピさんと勝新太郎さんが出会ったのはピッピさんがクールスを脱退した1981年あとと推測される。
クールス時代にニューヨークでのレコーディングで知り合いになった山下達郎からの紹介でピッピさんと勝新太郎さんは出会ったのである。

初対面だというのに勝新太郎は「お前今日の夜は暇か?」とピッピさんを誘い、銀座で飲んだのだった。意気投合した二人はその後、よなよな銀座に足を運ぶことになる。
当時付き人をやっていた川谷拓三さんは勝新太郎さんのことを「シャチョウ」と呼んでいて、一度たりとも「オヤジ」などとは恐れ多くて呼べなかったと言っている。

しかし、ピッピさんときたら川谷拓三さんを先おいて「オヤジ」と呼んで人生の師匠と位置付けてしまったのである。

勝新太郎さんはピッピさんの役者としての才能を見出し、自らが脚本をし主演、監督を果たしたテレビドラマ警視-Kにピッピさんをレギュラーとして抜擢したのであった。

それ以来の二人はいつも一緒に行動し、夜は夜で朝まで飲み歩くという公私ともの付き合いを果たすのであった。

まとめ

舘ひろしさん、岩城滉一さん、水口晴幸さんにはそれぞれオヤジと慕える師匠がいたことが

その後の人生において大きな影響を及ぼしている。

もし、彼らもクールスのほかのメンバーと同じように師匠と出会っていなかったら

今の彼らの存在を芸能界に見出すことはなかったかもしれない。

あなたはどう思いますか?

よかったらコメントを残してください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました