もし、クールス副団長・岩城滉一がバンドCOOLSに参加していたら

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クールス
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岩城滉一クールスを語る|もし俺がCOOLSに参加していたら!?

 

はいこんにちはおーちゃんです。

ご視聴していただきありがとうございます。

ぼくのチャンネルでは1975年のキャロルラストコンサートの護衛をすることで

その後のロック業界に一大旋風を生み出し、若者のハートを捉えた黒の軍団

クールスについて動画としてお届けしております。

ぼくの動画の特徴はクールスに起きた出来事を史実に忠実にを大前提に

お届けしている点です。

史実と言ってもインターネット上に転がっているようなコピペだらけの薄っぺらな

情報ではなく、クールスメンバーが出されている書籍の中から、またメンバーの

インタビューなどから情報を収集し精査を繰り返し、確実なものだけを下書きをして

独自な観点から動画としているのです。

なので、書籍からの抜粋などは一切していないということです。

仮に抜粋などしてしまえば、Youtubeの規約違反になってしまい、

すぐにチャンネルがバンされるのでそのようなことはご法度なのです。

しかし、メンバーご本人「ここに書いてあること、その時言ったことは

本当なのでしょうか」などと、聞いているわけではないのでその辺の大人の事情を

踏まえたうえでご覧ください。

さて、今回ご紹介するこの動画では岩城滉一さんに登場していただきます。

岩城滉一(滉ちゃん)がクールスにどんな影響を与えていたか、またバンド

COOLSについても触れていきます。

この動画を観ることで、岩城滉一のクールスでの立ち位置が分かるとともに、

「もしあの時、滉ちゃんがいなかったら」どうなっていたのかが分かるはずです。

この辺のいきさつを深堀することで、より一層クールスが分かるようになりますよ。

なので、最後まで見ていただけたらなと思います。

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岩城滉一と舘ひろしの運命の出会いからクールス結成

俺とひろしとの出会いは偶然だった。原宿だったか渋谷だったかは

よく覚えてないけど、人の紹介じゃなくひろしの方から話しかけてきた。

ひろしの第一印象「風変わりな話しやすい奴」っていう感じかな。

バイクのことをしきりに聞いて来るもんだから、いろいろとバイクの話で

盛り上がったのを覚えているよ。それが俺と滉ちゃんとの出会いだった。

免許を持っていなかったひろしに同行して免許を取りにつれて行ったんだ。

その後、俺たちは少数精鋭バイクチーム「摩訶男」を作った。

その後、どれくらい時間がたったかはわすれちゃったけど、1974年12月13日

金曜日のディのバーガーでのクールス結成式となるわけだ。

このときには俺がつれて行ったメンバーそして、ジェームスが連れていたメンバー

それからアズールのバーテンダーをやっていたサムの仲間など、いろんな奴らが来た。

初対面の奴もいた。

俺もちょっと驚いたんだけど、ひろしが作ってきた誓約書やクールス証のリング

後忘れちゃいけないのが、のちにクールスの標語になるEverything We said was cool。

「ちょっと、やりすぎじゃねえか」と思ったけどそんな前向きさがひろしの良いところ。

このときは正直、やりすぎだなーと思った。

「俺が血判しなければまとまらね」と思ったから、一番最初に血判したんだ。

ジェームスと俺はもう長い付き合いになるけど、ひろしのやることは

幼稚だと言ってたのを覚えている。でも、ジェームスやジェームスが連れてきたピッピや

それから、サム関係の連中はよく規律に従っていたな。

それに比べると、マカオ時代からいる連中がちょっとだったな。

まぁーそんなことを言ったらきりがないっんだよな。

だって俺たちはてんでんばらばらに生きてきたやんちゃの集まりだったからな~

そんな連中が集まってクールスは誕生したというわけさ。

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キャロルラストコンサートで時代の寵児へと

あの時を振り返ると、激動だったな。

あの時代を一言で言うと、フォークソングとロックが入り混じっていた。

でも、フォークソングの全盛期の時代に

演奏技術では抜群だったキャロルが突然の引退宣言。俺は驚いたね。

永ちゃんからのオファーをひろしに伝えたら一つ返事でOKしたんだよ。

そして、アメリカのヘルスエンジェルスを真似してキャロルを護衛したんだ。

これがきっかけで俺たちは有名になる。

いろいろなところからオファーがあったのを覚えている。

クールスのメンバー全員で取材を受けたMc-sisterは反響が大きかった。

俺たちのファンがいっぺんに増えた半面、敵も増えた。

当時、群雄割拠していた暴走族が俺たちをターゲットにしてきたんだ。

俺たちを倒せば有名になるとでも思っていたのかな~

そう関東連合の連中だな。エンペラー、スペクター、マッドスペシャル

ルート20の奴らだよ。、俺たちクールスを潰し来た。

でも、たまたま俺が幹部連中をほとんど知っていたことから大事にならずに済んだ。

知っていなけりゃクールスはどうなっていたかわかんないというのが正直なところだな。

そりゃそうだろ、だって一人で何十人も相手にするのは無理があるぜ。

それから、ルート20の頭だった遠藤夏輝だけど、面白い奴で後に

バッドエンジェルスを作ってクールスの舎弟を名乗っていたな。

クールスに感化され、チームカラーを赤にしたというんだからひろしに引けを取らない

演出家だよな。演出家で思い出したけどジェームスも言っていただろう。

ひろしにかっこつけさしたら右に出る奴はいないなんて、、、夏輝もそんなタイプだな。

それから、永ちゃんがキャロルを解散した後に、ひろしたちはCOOLSとして

バンドデビューしたけど、

俺はその時は映画が忙しくなっていて参加できなかったんだよ。

正直なところバンド何て興味はなかったし、ひろしの考えと俺の考えが食い違った。

そなこんなで俺はクールスの活動から一時離れることになったな。

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ピッピがさらわれた事件

そんな中、ピッピからバンドのことはよく話を聞いていた。

ひろしとメンバーがあまりうまくいっていないことも。

そして、あの事件が起きた。ピッピがさらわれたというんだ。

ひろしから連絡が来たんで、撮影中だったけどマチャミを連れて吹っ飛んで行ったよ。

内容をひろしと、ピッピの親衛隊をしていたリキとかいうやつの話を聞いてな。

あの時は危機一髪、ピッピを助けることができた。

あと少し、俺たちの到着が遅れていたらどうなっていたかわからないな。

ことの発端は親衛隊とピッピのしたことからだけど、ひろしとムラ、秀坊なんかの間が

うまくいっていなかったことが大きな原因のような気がするな。

うまくいっていたらピッピだって、一人で悩みを抱えて無茶なこともしてないと思うしさ。

俺がこんなこと言うことじゃないけど、もしあの時俺がバンドCOOLSに加わっていれば

もっと違った展開になっていると思うよ。

でも、ひろしがCOOLSを辞めて、そしてジェームスを中心にムラや秀光がCOOLSを

やっているのはそれはそれでよかったんじゃない。

話に聞くといろいろあったみたいだけどね。

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