【梅宮辰夫】映画人生と松方弘樹との釣り人生そしてローバート秋山と

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梅宮辰夫さんが2019年12月12日、お亡くなりになりました。

享年、81歳だった。

闘病生活が長いなか、「必ずお茶の間に戻ってやる」の気概を見せ、

回復に向かって精進していたようだ。

身体を病んでからは6回にも及ぶ、癌の壮壮絶な手術を経てきた。

手術をするたびに、回復を見せてきた梅宮さん。

今頃は親友だった松方弘樹さんと「笑談」をしていることでしょう。

この記事では梅宮さんを振り返りご冥福をお祈りしたいと思います。

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【梅宮辰夫】映画人生と松方弘樹との釣り人生そしてローバート秋山

 

そもそも、梅宮辰夫さんは銀幕の大スターでした。

昭和33年、1958年に東映の5期ニューフェイスに合格。

翌年、34年に『少年探偵団 敵は原子潜航挺』シリーズで主演デビュー。

鶴田浩二、高倉健が東映京都に行くことが多くなる中、

東映東京を梅宮辰夫が背負う展開となっていったのだった。

梅宮がその実力を見せつけたのが、「不良番長シリーズ」で、

16作続く彼の代表作となったのである。

このシリーズでは山城慎吾が加わることによって、コミカルタッチになり、

より一層、お茶の間に浸透していったのである。

梅宮は生前、「俺の印象は仁義なき戦いの印象だと思うけど、本当は

不良番長シリーズが俺の真骨頂なんだよ」と。

このように言っているようだから、コミカルタッチのバラエティーにも

積極的に出演していたのかも知らませんね。

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お茶の間を賑わせた松方弘樹との釣り人生

 

松方弘樹さんとは「にー」「ひろき」という関係でした。

大親友とお互いが言っていたほどで、釣りを取り上げた番組内では

二人の仲の良さを垣間見ることができました。

ある番組では300キロに近い大マグロを釣り上げることに成功。

趣味を通り越した、魂的なものを感じたのを覚えています。

いつでも、朗らかで誰をも包み込んでくれていた松方さん。

松方弘樹さんのマネをしてお茶の間の人気者、ロバートの秋山さんに

「俺が死んでも俺のマネをやってくれよ」って言ったそうです。

この言葉にも梅宮さんの人間味あふれる心が現れていると思います。

また一人の昭和の大スター、銀幕スターを無くしてしまいました。

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梅宮さんが可愛がっていたロバート秋山さんとのエピソード

 

ロバートの秋山さんが梅宮辰夫さんの体芸をやり

バカ受け芸人の仲間入りしたのは2007年のことだったそうです。

事務所からの連絡で梅宮さんからは「体芸をしても良い」

承諾をいただいたもののご本人とお会いして、

挨拶が済んでいないことを申し訳ないと思っていたのでした。

そんな折、ロバートが司会を務める番組に梅宮さんをゲストで迎えるチャンスが。

梅宮さんは快く、2つの条件付きで快諾してくれました。

■やるならとことんやれよ

■体を焼くのはマシーンはNG

この2つの条件だったのです。

そして、本当に梅宮さんが優しい人で、大きな人だと思ったことについて

秋山さんは語っておられます。

それは、秋山さんの子供が誕生したときのこと、

誕生日祝いに・・・

なんと、梅宮さんのクルーザーでいつでも「体を焼きにクルーズできる権利」

惜しげもなくくださったのです。

最初は冗談だと思っていたのですが、正真正銘の本当でした。

梅宮さんには本当によくしていただきましたと振り返っていた秋山さんでした。

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まとめとして・・・

 

東映の銀幕スターだった梅宮辰夫さんがお亡くなりになりました。

お茶の間を賑わしていた梅宮さんからは想像もできないくらい

痩せこけて、病的なようになってしまった梅宮さん。

確かに闘病生活を長年していたのだから仕方ないですけど・・・

でも、梅宮さんと言えば体格が良く、日焼けしていて健康的。

そのイメージがあるのは筆者だけでしょうか?

最後の言葉を添えたいと思います。

松方弘樹さんとまた、大好きな釣りを満喫してくださいね。

梅宮辰夫さんのご冥福をお祈りします。

以上、【梅宮辰夫】映画人生と松方弘樹との釣り人生そしてローバート秋山と

・・・についてでした。

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