今回のテーマははズバリ「横山剣半生を語る」について語って行きます。
横山剣さんと言えば、言わずもがなクレイジーケンバンドのボーカルとして活躍されているミュージシャンです。
ミュージシャンの他にも作詞家・作曲家という顔を持つ横山さん。
若い頃クールスのバンドボーイをやっていた時にクールス現リーダー佐藤秀光さんから「おい、横山ボーカルをやれ」と大抜擢され、それ以来40年があっという間に流れた。
この記事では横山剣さんがラジオ番組で語ったことを僕なりにまとめたものになります。
そんな横山剣さんが何を語ってくれるのか僕はラジオにくぎ付けになっていた。
横山剣の作詞・作曲スタイルはどんなもの?
インタビューワーが淡々と切り出す。
横山さんは多種多方面に活躍をされていますが、どんな時に曲を作っているのですか?
「えーとそうですね~ 突然に頭の中に浮かんでくるんですよ。詩もそうですし、曲もそうなんですけど突然なんですよ。だからそれをカセットテープに録音していたんですけど
身近にカセットテープがある時はいいんですけど、無い時は忘れないように必死で頭の中に残しておこうと思うんですけど、いつの間にか忘れてしまうんです。
でも、忘れるということはそれまでの曲だと思ってあきらめていますよ。
つつけてインタビューワーが口を開く。
どんな時に曲とか詩が浮かぶんですか?
そうですね~ 一番多いのは車を運転している時ですかね~ タイガー&ドラゴンもそうだったんですよ。確か16号線を運転していたときに最後のトンネルを出るときに突然マジックのように降ってわいてきたんですよ。
そしてね~ 面白かったのは和田アキ子さんみたいな歌い方まで浮かんできたんですよね。
これにはぼく自身驚いたし、笑っちゃいましたよ。
インタビューアーの隣にいるアシスタントの女性がクスッと笑った。
そう言えば・・・横山剣さんと和田アキ子さんが並んでタイガー&ドラゴン を唄っている動画をどこかで見たことがある。
その時僕が感じたことは 「この二人の歌い方は声質まで似ているし、本当に歌い方がそっくりだな」と。
「タイガー&ドラゴン」のリリースは2002年ながら、その瞬間はいまでも鮮明に覚えていると言う。
「頭のなかで歌っているのは僕じゃなくて和田アキ子さんが歌っているんですよ」と回顧。
とはいえ、これはレアケースで、運転中に浮かんだメロディーは「ほとんどの曲は忘れちゃうんですけど、忘れちゃう曲は弱いということで、淘汰されていく」とも話していた。
クールスジェームス藤木と横山剣との共通点とは
ここで押さえておかなければならない点と言うのは
直感的に詩や曲が浮かんでくるというスタイルはクールスの音楽の屋台骨ジェームス藤木と同じであるということ。
これはどんなことなんだろうと僕なりに推測すると・・・
ジェームスさんも横山さんもジャンルにとらわれることなく幅広くいろいろな曲を幼少期から聞いているという点だ。
とてつもない膨大な曲を聞いた二人だから自身のフィルターを通して色々なメロディーやら詩がミックスされ湧き出てきていると推測する。
佐藤秀光さんが自身が書いた著書「ハングリーゴット」の中で語られていますが、
音楽大学で専門の知識を勉強し、努力をしたところでメジャーデビューができるとは限らない。限らないどころか、専門知識を詰め込んだとしても難しい世界である。
などと音楽業界の難しさを語っていますが、ジェームス藤木さんの卓越した音楽才能がクールスをメジャーデビューに導いたのだと考えます。
そして、クールスに横山剣さんが加わったことでジェームスさんの才能と横山さんの才能の相乗効果が生まれ良い唄を次々と世に送り出すことになったのだと思います。
ちょっと話が脱線してしまいましたね。話を戻すことにしましょう。
インタビューワーが口を開いた。
横山剣が11歳の若い頃作った最初の唄は
最初に横山さんが曲を作ったのはなんという曲だったんですか?
最初に作ったのは小学5年生の11歳の時でしたね。
確か「GTの歌」ですね。
当時、僕は車が好きでモーターショーには必ず行っていました。
横山さんは「GTの歌」と即答。クレイジーケンバンドにも「GT」という曲があり、
それのルーツになるような。
車が大好きで60年代から東京モーターショーに行っていたんですけど、
トヨタのセリカ1600GTとカリーナ1600GTというのがあって、その2つの車のデビューの年に降りてきた曲ですね。
1970年に思いついて、1971年にカセットテープに吹き込みましたと振り返った。
興味深く聞いていたインタビューワーが口を開く。
最後になりますが、最近の活動について教えてください。
9月8日(水)に、クレイジーケンバンド初のカバーアルバム「好きなんだよ」をリリースしました。前々からカバー曲をやろうと思っていたんですけど、どうしてもオリジナル曲が生まれてきちゃうので、やる隙がなかったんです。
それで、クレイジーケンバンドには、“1”のつく年は“オリジナルアルバムを出さない”という暗黙の了解がありまして。今年はどうしようかなと考えたときに“このタイミングでカバーだ!”と思いました。
初のカバーアルバムということもあり、選曲はすごく大変で、もう何年分の思いがありますから。ある程度、限定しないと無理ということで、20世紀、そして1970年代以降90年代までと限定しました。
その中から選りすぐりの名曲をカバーするにあたり「原曲をたくさんの方が知っていらっしゃるので、どうしても比べられちゃうんですね。その楽曲に対して、作者やシンガーの方にリスペクトがないと成り立たないということがありますので、そういう緊張感はオリジナル以上にありましたね。
でもなんとかリリスが出来て今はほっとしているところですよ。
そしてぼくが本当にうれしかったのはユーミンさんから手紙をもらったことなんです。
横山剣は次のように語った。
横山剣が一生宝物にしているものとは
昨年、ユーミンさんの『やさしさに包まれて』を、いろいろな人とマイクリレーみたいな形で、リモートでレコーディングしたんですけど、発表してしばらくしてからユーミンさんからはがきがきて、そこに『多作な剣さんへ』と書いてありまして。
ユーミンさんに比べたら全然多作じゃないんですけど、そういうふうに言っていただけて嬉しかったんですね。
ハガキには次のように書かれていたという。
『過去の作品や過去のなにかがいろいろなヒントになるよ』
『過去の自分がいまを助け、いまの自分が未来をつくる』
全身に電気が駆け巡った感じでしたね。
そのはがきは「まさにお守りになっています」と結んだ。
と言いうことで、今回は横山剣さんデビュー40周年ということで「横山剣半生を語る」でした。
最後まで見ていただきありがとうございました。
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